この映画は例えば「スラムドッグ$ミリオネア」のように
"貧しいけど運命だか偶然だか何だかわかんないもののおかげで人生何とかなるさ!"と
幸運が有り余ってマサラ・ビートでダンス!みたいな陽気なノリとはほぼ180度逆で
不幸の連続人生恨み節で死者が出たら笛吹いて踊るひたすら重く暗い90分
一言で言えば とても薄気味悪い映画です
その薄気味悪さのルーツは主人公イワンの少年時代にさかのぼります
少年時代にイワンは家族と教会へ行き1枚の絵画を目にし
"これは悪魔なの?"と尋ねると
父親は
"悪魔(サタン)は人間の心の中にのみ存在する"
と答えるのですが
この父親の一言が「火の馬」全体の骨格となっています
すなわち
人間の妬みや憎しみに作り出された悪が全ての登場人物に覆い被さり
悪が人々に連鎖しながら次々と不幸な出来事を巻き起こしてゆくのですが
その不幸は第三者にとってただの噂話や音楽に合わせて踊る酒宴の対象でしかなく
そこに再び妬みや憎しみによって悪が作り出される余地が生まれ・・・の繰り返しで
登場人物のほぼ全員 度合いの違いはあれ悪の要素を心のうちに秘めています
唯一悪の要素が無いと言えるのはイワンの幼馴染みで恋人のマリーシュカだけです
イワンもマリーシュカと幸せな恋愛を持続出来ていれば悪の要素をを持たなくて済んだのですが
偶然(運命?)が引き起こした とある出来事によって
イワンの人生は一変して不幸のどん底へと堕ちていってしまうのです
(ここが「スラムドッグ$ミリオネア」とは大違い!)
「火の馬」というタイトルは "走馬灯"という言葉に近いのかもしれません
劇中で人の死にまつわるシーンがいくつも出て来ますが
そのシーンにやたらと斬新な映像表現があてがわれている気がします
人が殺されるシーンや とある人物の死を象徴するシーンなどが
この映画でしか見たことのないような表現のされ方をしていて
血が噴き出すホラーなどとは全く異質の記憶が尾を引きます
もうひとつ印象に残るのは 舞台となるウクライナ民族の土着性です
宗教・音楽・祭り・精霊といったものが深く深く日常生活に入り込んでいて
この土着性が妬み・憎しみ=悪と深く関わっているのも物語の特徴です
とにかく 救いの要素ほぼゼロ!
映画が終わり映画館を出て大きく深呼吸することで救われたと思うほどです(笑)
それでも自宅にあるDVDではなく わざわざ映画館まで足を運んで
救われない気持ちになる悲劇を目の当たりにすることは
生きているという実感や充実感を教えてくれることを意味するとも
言えるのではないでしょうか
幸いにして人間の心の中に潜む悪を映し出すのはパラジャーノフの圧倒的な映像美です!