2011年4月24日日曜日
『少女』
アンヌ・ヴィアゼムスキーの映画女優デビューを舞台にした自伝的実名小説。
大人の顔をのぞかせては引っ込めつつ成長してゆく様と、
新人女優から一人前の映画人として自我と居場所を手に入れてゆく過程。
「少女」はこのふたつを、
老紳士「ロベール・ブレッソン」と彼が監督する映画において、互いに絡み合いながら経験してゆき、
その時々に感じた彼女の内面が鏡に映った自分を語るように、赤裸々に綴られてゆく。
ヨーロッパ映画ファンは必読!そうでない方もぜひーー!!
・・・
きれいにまとめようとすると、おそらくこんな感じになるのでしょうが・・・
甘 く 見 て ま し た 。
後半、ページをめくる手が止まり、放心状態になること数分。
他人事で血の気が引き顔面蒼白になったのは、久しぶりです。
再び読み進めたところ、
後の出演作での監督でもあり夫でもあった「ジャン=リュック・ゴダール」との、初対面のシーン。
「ロベール・ブレッソン」との力関係も相まって、コミカルなキャラクターで描かれている。
ようやく落ち着きを取り戻し平静を保てそうだ、ゴダールありがとう・・・
・・・!!
今度は驚きで心臓がバクバク言い始めてしまいました。
そんなひと波乱もふた波乱も強烈なエピソードを交えつつも、
世界のすべてを知り手に入れてしまったような無敵な強さと、
ふと我に返り今も何ら変わりない子供の世界を生きていることに揺り戻されたときの悲しさが、
「少女」の中で行ったり来たりする様子を、
彼女自身の言葉で、包み隠さず、鮮やかに、そしていきいきと描かれるのを見ると、
"高2の夏休み感覚"が去来して、
胸を締め付けられながらも、きゅんとさせられます。
もちろん、告白本や暴露本ではなく、自伝的実名小説。
事実関係や語られていること/いないことの判断はしようもありません。
でも、「少女」が飛び込んだ「映画」の世界が、
ひとくせある個性的な登場人物たちによって、とても魅力的に描かれていて、
読んでいるうちに、「少女」にとっての「映画」が、
人生の過去を顧み現在と未来を考えるための示唆を与えてくれるように思えてくる。
それこそが小説たる所以であり、それでいい、それがいい。そう思います。
2011年4月3日日曜日
「SOMEWHERE」
しばしば女性が男性を評して使う「かわいい」という言葉は、
同性の目からはなかなか実態をとらえにくいものです。
それが、スティーヴン・ドーフ演じるジョニーを通じ、はじめてわかった!
僕がこの映画を観て感動した最大のポイントは、そこでした。
ジョニー(スティーヴン・ドーフ)がオープンテラスのカフェでたたずんでいる姿を見て、
二人組の女性客が「彼、かわいいわね。」と言うシーンが、前半かなり早くに出て来ます。
ここで、ジョニー=「かわいい」と動機づけられると、ソフィア(・コッポラ)の女性監督たる強みが本領発揮。
筋肉質で胸毛も生えた大人の男性がなぜ「かわいい」のか?という命題が、
説明される必要も無く、いつの間にか当たり前の既成事実として証明済になってしまうすごさ!
繰り返しますが、大人の男性を「かわいい」という女性特有の感覚を、
男性の側が感じ取ることが出来るのは、奇跡に近いと言いたいくらい稀なことだと思います。
母性本能と関係があるのか?ないのか?
「ブラウン・バニー」のヴィンセント・ギャロは「かわいい」のか?そうではないのか?
これらは、男性が知ろうと思っても普通はなかなか知ることは出来ないはず。
しかしながら、「SOMEWHERE」のスティーヴン・ドーフは「かわいい」!断言出来ます。
彼の「かわいい」は、背中に悲哀があります。
その悲哀のうちかなりの割合を占めるのが、可愛い娘を悲しませない、ということ。
クレオ役、エル・ファニングの可愛さについては、語るのが野暮です。完璧。
パンフレットのプロダクション・ノートに書かれていた彼女の設定は、なるほどと思いました。
セリフの中に散りばめられたクスッと笑ってしまう小ネタも最高。
たとえば、「ダサいレオタード」や「ヴァンパイア」、僕の勘違いでしょうか。
観ていて嫌な気分になるシーンがひとつもなく、すがすがしく映画館を出ることが出来たのは、
この時勢このタイミングで公開され、これ以上を望むことがないくらい、
最高のプレゼントだと思います。
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