2009年4月19日日曜日

香りとラグジュアリー

京都国立近代美術館にて開催中
「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展関連イベント
松栄堂(リスン)社長 畑正高さんの講演を聴いてきました

予想通りでした

知識欲をくすぐられるエピソードに満ち溢れていた
という意味では 興味深い話ではあったのですが
ラグジュアリーファッションと香り・香の文化に
どのような親和性があるのかという視点から見れば
目新しい話は特に聴けなかったというよりむしろ
興味のある話を時代とキーワードに沿ってつなぎ合わせた
という印象が強かったです

展覧会では

・"Ostentation"(自分の力を示す)
・"Less is more"(削ぎ落とすことは飾ること)
・"Free-spirited"(冒険する精神)
・"Uniqueness"(ひとつだけの)

と時系列を4つのテーマでくくり
それぞれに於いて象徴的な服を展示しているのですが
例えば"Less is more"を東山文化の"わび・さび"に引きこんで
話をされていても
バレンシアガがメインになる同テーマの展示との関連が
結びつかない といった消化不良多々あり 
といった具合です

"Free-spirited"(≒コムデギャルソン)に対して
聞香の"寄合"の話もしかり

展覧会を念頭に置かなければより楽しめるであろうことは
正直に言うと聴く前から想定の範囲内だったので
まあこんなもんだろうな と

そういう意味で 予想通りでした

"ラグジュアリーとは労を惜しまないこと 
 教養の裏付けが伴うこと"であり
その点に於いて"ゴージャス"とは似て非なる

という言葉に共感できたのが 一番の収穫だったように思えます


モード・ファッションの展覧会(特にファッション財団系)は
コルセット→宮中衣装→・・・→ジャポニズム
→ジャポニズムに対するアントワープからの回答→老舗メゾンの再生
…といった時系列に並べた紋切型の教科書的なものが多く
さすがに最近は食傷気味です
服の1点1点は言うまでもなく美しいものばかりな分
木を1本ずつ眺めるあまり 森としての魅力に欠ける気がします
同じ時系列で歴史性を持たせるならば
ひとつのブランドなりメゾンなりのレトロスペクティブを観た方が
思想が浮き彫りになる分 興味をそそられます
斬新な企画の創意工夫を今後期待したいところです

同会場で開催中の「都築響一展」の方が 
作者の汗が滲み出て魅力を感じます










2009年4月6日月曜日

杉浦茂 展

初日観に行ったタイミングで
てっきり記事を書いたと勘違いしていましたが
昨日"日曜美術館"曽我蕭白特集に
辻惟雄さんと村上隆さんが出演されていたのを見て
杉浦茂さんの回顧展にも
"奇想"という言葉が使われていたことを思い出して
遅ればせながらアップした次第です

シュールレアリズムの画家を志し
のちにマンガ家に転じ
「のらくろ」で有名な田川水泡さんに師事したという経歴だけで
相当好奇心をそそられますが
作品はその期待を裏切らないどころか 
期待以上を超え 予想外な面白さです

マンガにあまり詳しくない僕でも
杉浦先生がマンガ界に与えた計りし得ない影響は
初めて作品を読んだとき 直感で気づきました

実際 会場には
様々な作風を持つ著名なマンガ家さん達からの
直筆メッセージが多数展示されています

松岡正剛さんによる書評もかなり面白いです

"シノワズリーなら諸星大二郎であるが、杉浦シノワズリーはなんら中華趣味を研究していない。
ふだんのままである。……不勉強を通すというか、いつものままにいるというところに、
ぼくは迂闊にも感心してしまったのである。"

という一文に 思わずにやけつつ 
的を得た表現にうなづいてしまいました