にっかつ配給の18禁映画。
18禁の意味は"そっち"ではありませんでした。
血しぶき湧き肉片踊る、大人の娯楽大作映画です。
館内に貼られていた記事で園子温監督は、
「救いの要素は全くないが観終わったあとスッキリする映画を撮りたかった」とコメントされていたのですが、
この言葉に尽きると思います。
実在する事件にさらに幾つかの猟奇的事件をトッピングした上で、
設定を熱帯魚店を営む家族(の感情のすれ違い)に変えて話は構成されています。
まったく救いようがないのを嘲るかのようにスプラッター・ホラー並みに血しぶきが飛ぶ、
逆に言えば、残酷極まりない危ない橋を渡りながらも全く救われない、血も涙も無い話です。
(いや、血はイヤというくらい出て来るのですが…)
では、こんな話がなぜ「スッキリ」するのか。僕は2つの要素が浮かびました。
1つは、コミカルな点です。
話の軸となるキャラクターの行動に最初は目をそむけたくなるものの、
次第に(観る側の慣れも手伝ってか)それが滑稽で哀れに見えてきて、
クスッと笑えてしまう感覚が終わりに近づくほどより敏感になってゆく気がしました。
もう1つは、「救われない」というまさにその点において、です。
熱帯魚店の父が家族の再生を夢見て奔走する姿は話が進むにつれ痛々しく真剣さを増してゆきつつも、
救いようのなさもまた、あろうことかそれに反比例(正比例?)してしまっていました。
そしてラストには大ネタが控えているのですが、
ここで「救われなさ」と「コミカル」が見事に交差して、
エンドロールを「スッキリ」した気分で迎えることが出来るように、話が上手く組み立てられていたと思います。
「世の中そんなうまくいかねーよ!」と希望を完璧に捨てさせられあきらめてしまえば、
そのあきらめの境地が次第にすがすがしく感じてきて、逆にポジティブな気持ちが芽生える、
そんな感じでしょうか。
余談ですが、「紀子の食卓」→「時効警察」と連なる園監督のセルフパロディに思えるシーンもあり、
面白かったです。