2006年11月30日木曜日

「ストロベリーショートケイクス」

書こうかどうかずっと躊躇していたが
GREEで魚喃キリココミュの管理人を
やらせていただいている立場上
逃げずに書かざるを得ない。

観終わって思った感想は
まず原作「strawberry shortcakes」と
映画「ストロベリーショートケイクス」は
似てはいるが別の作品であるということ。

そして正直に告白せねばならない事は
「男と女はやはり別の生き物だった」
という確信だった。
その確信は塔子とちひろが別れ(るはず)
だったシーンで塔子が泣いていたが
僕には搭子の涙の重みが解らなかった。
いや男女の違いではないのかもしれない。
昔から女の友情には疎いという自覚があるし
監督の矢崎仁司は男だ。
いずれにせよ あの涙を共感できなかったのは
とても悔しかった。
自分の生き方にどこか誤りがあったのだろうか。

ちひろ役は中越典子だが
僕はこの女優をずっと
居場所の無い 宙ぶらりんな女優だな
と勝手に思っていた。
私見だが どのドラマを見ても
どの役でもしっくり来ない気がしてならなかった。
だからちひろ役に中越典子をキャスティングしたと
聞いた時には やられたと思った。
ようやく彼女の居場所が与えられた気がしたからだ。
なぜなら ちひろという女性そのものが
まさに宙ぶらりんで居場所の無い女性だからだ。
自分がもし女に生まれてちひろのような存在だったら
さぞかしがっかりすることだろう。
でも誰しもがちひろ的平凡さを少なからず抱えて
生きていることもまた事実。
だから人はちひろ的弱さに共感を覚えるのだ。

塔子はちひろのカウンターパート的存在で
神に選ばれて生まれてきた女性だ。
しかし天才は常に孤独であり
見えない敵 あるいは自分自身と
常に格闘している。
また天は二物を与えないらしく
実は一番失恋に敏感であったりもする。
ちひろの日記を鼻で笑いながら読み
自慰に耽る様は実に痛々しい。
また監督・脚本家の意図かどうか不明だが
やたらとTバックの露出を強調したカメラワークに
塔子の内なる女性性を感じた。
余談だが塔子役の岩瀬搭子(と敢えて呼ぶ)の
大胆な演技は予想していなかっただけに驚いた。
あと 塔子の制作物という設定で
高木紗恵子のイラストが多数使用されていたのが
個人的に嬉しかった。

露出といえば 秋代演じる中村優子は
脱がせたら今一番人を惹きつける女優ではないか。
「血と骨」での熱演も記憶に新しい彼女の裸体は
秋代においても嘘偽りの無い美しさだった。
彼女の凄いところは 好きな人の前と
その他大勢の前とでは同じ裸体でも輝きが違った。
片思いの菊池と成就した一夜限りのそれは
デリヘルで客を相手にするものとは全く別の
輝きを放っていた。
秋代の菊池に対する一途な思いを見て
ここでもまた自問自答。
共感は出来るが 果たしてここまで深く
人を愛した事が自分にはあっただろうか・・・

秋代の働くデリヘルで受付のバイトをしている里子。
彼女は恋に恋するような乙女キャラで
他の3人よりも幾分キャラクターがつかみやすい。
(実際にいそう という意味では必ずしもないが)
映画でも彼女が作品全体のバランスを保っていた。
この絶妙なバランス感覚は
池脇千鶴の演技力に寄与するところが大きい。
「ジョゼと虎と魚たち」で見せた
老獪で年齢不肖な女性とは打って変わって
今回は見ていて爽快な気分にさせる
エネルギッシュな存在感を放っていた。

そしてラストシーンで
とってつけたように出て来る
イチゴのショートケーキ。
このニュアンスにも女性的なものを感じ
上手く入り込めなかった。

映画を観て
これほどまで敗北感を感じたのは
生まれて初めてだ。