2013年4月12日金曜日

「世界にひとつのプレイブック」

予告でこの曲を聴いてからとても観たくて仕方がなかった。

CDやiPodで聴けば、とか、そういうものではなく、この曲がベストなタイミングで流れる映画であることへの期待が胸を高鳴らせたのだと思う。

曲の使われ方はとても意外だった。でもその使われ方というのが邦画にありがちなタイアップ丸出しな曲が外れた痩せた歯茎と入れ歯のようなガタガタに浮いたものではなく、
ストーリーの根源をなす位置づけをされていて、名曲に恥をかかせないどころか、名曲が名画への御膳立てをする重要な役割をしっかりと担っている。

繰り返しになるが、映画の中で曲が流れる意味合いは予告で予想していたものとは大きく異なる。
しかしながら、予告でこの曲が流れたときに感じた第一印象、あえて言葉にするならば"幸せな気持ち"、は本編を観終わったあとに残るものと同じだった。
キャラ設定やストーリーにひとクセありそこにたどり着くまでは予想もつかなく、また、上手くいかないことも多々あるわけだが、
それこそ人生そのものだという直喩でもあり隠喩だと思えばより一層感動が極まるのではないか。
人生がうまくいかないということで言えば、主人公の父(ロバート・デ・ニーロ、職業は"ノミ屋")がコントロールどおりにはいかない人生における賭場を
息子(主人公)に忠言するシーンも素晴らしい。

主人公ふたりがお互いの腹を知った上で感情をときには押し殺しときにはエキセントリックにむき出し掛け合いながら話が進んでゆくところに、
この映画いちばんの魅力を感じた。もともとこういう設定で男女が絡む話が好きだからだ。
だから、これを観て思い出したのが「結婚できない男」。以後阿部寛を"アベちゃん"と呼ぶに至る自称"アベちゃん"好きを決定づけたドラマ。
もちろん、夏川結衣のあの腹の底では"アベちゃん"をうすら笑いながら涼しい顔をしつつも時折女ごころをチラ見せする名演あっての"アベちゃん"なのは、
力説せざるを得ないわけだが。

'My Cherie Amour'を流しながら「結婚できない男」を観る、という実験を今度してみようと思う。