2008年5月26日月曜日

僕の中にある「異端」っていう言葉をいったん保留にして

日曜日の朝は政治討論番組が多いですね。
たまに見ていると違和感を覚えるひとつの言葉があります。
「国民」。
「国民は怒ってますよ」「国民の立場からすると・・・」
自民党も民主党も公明党も共産党も社民党もこぞって
「国民」という言葉を並べるわけですが
みな言ってることはバラバラなわけです。

もちろん政治の世界は言葉を慎重に選んで
厳密に語るべきシビアな場所だと思います。

それはそれとして・・・

僕が最近感じるのは
ひとつの言葉が持つイメージの「のりしろ」というか
その言葉から各々が連想するものの自由さ です。
そこが面白いなあと。


広辞苑片手に「その言葉の定義からズレている」と
目くじら立てるよりも
多少「定義」からはみ出ちゃっても
自由に語ることのほうがなんかいいなと最近思うのです。

もちろんこの「自由」という言葉も
それぞれ持つイメージが違うわけで
だとすると”自由に語る”ということの意味も人それぞれという
ループに陥ってしまうわけなのですが・・・

京都国立博物館の「河鍋暁斎展」と
みなみ会館の「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」を
最近観てきました。
両者とも世間では「異端」と評される画家の
展覧会とドキュメンタリー映画です。

両者ともとても素晴らしかったです。
そもそも「何が正統で何が異端か?」なんて話もありますが
今回はそういう議論からは僕は降りようと思いました。
内容についてもあれこれ説明もしません。
ただただ素晴らしいのひとことに尽きました。

興味がある方 感じるものがある方は是非!