ビジネスホテルに泊っても聖書を1ページも開くことなくチェックアウトする自分にとって、
この映画を説明する知識など有ろうはずも無い。
また、寡黙と温厚によって存在感を担保しているような父との間に軋轢など全くなく、
経験の側から共感を得るのも、不可能に近い。
しかしながら、知識や経験の欠如をものともせず、それを補うだけの感動を秘めた、魅力的な作品だと思った。
映像に効果的な音楽が重なったときの興奮が映画を趣味とする者にとって何よりも楽しみであるのはみな同じはず。
「ツリーオブライフ」における"それ"が、「モルダウの流れ」。
音楽の授業でぼんやりと聞き潜在意識の奥深くに居眠りしていたような曲が、
テレンス・マリックの指揮棒に導かれた魔法のようなシンフォニーで、頭から水を浴びせられたように目を覚ます。
音楽の授業は認知するきっかけであって、感動を得たのは映画の力。
それでも、音楽の授業で"モルダウ=名曲"という回路が思考の中に形成されていなければ、
映画でこの曲を聴いたとしても、美しいシーンだなとは思いはすれ、深い感動を得られたかどうかは不明だ。
そう考えると、"教育なんて学校では教えてくれない"などというのは単純で紋切り型な物言いに過ぎないのでは?と、
学校教育の奥の深さを再発見する旅に出る身支度を整える気分にはなれたのかもしれない。
似た思いを「バッド・エデュケーション」の「帰れソレントへ」でもしたことを覚えている。
曲としては「モルダウの流れ」より「帰れソレントへ」のほうが好みだ。
でも、映像とのシンクロによってもたらされる感動は、「ツリーオブライフ」のほうが、遥かに上へ。
今年の夏は、これと「コクリコ坂から」だった。
ともに2回観た。