2007年1月23日火曜日

「不良少女モニカ」

初期ゴダールなど

ヌーヴェル・ヴァーグに影響を与えた

イングマール・ベルイマン監督の代表作

「不良少女モニカ」をDVD鑑賞。


なるほど。

大人になることを恐れ

労働を拒絶し

恋におちた男女が繰り広げる逃避行劇は

車とボートという乗り物の違いはあれ

「勝手にしやがれ」っぽい。

(もちろんゴダールの方が

 部屋にポスター飾っても恥ずかしくない

 スタイリシュな映像に仕上げている点において

 勝ってはいるのだが。)

その後モニカが妊娠した事を機に

街に戻り

結婚式を挙げ

普通の暮らしを始める。

ここでハッピー・エンドかと思いきや

ここからが「不良少女」という

タイトルの所以。

子育てを夫に任せっきりで

家賃のためのお金で放蕩を繰り返す。

結局 夫がキレて離婚し

子供を夫が引き取って別れるのだが

この結末にはお互い生まれ育った

家庭環境が糸を引いている。

夫は幼くして母を亡くし

家族愛に飢えていた。

一方モニカは下町の賑やかな家庭に育ち

息苦しい思いをしていた。

そしてお互い自由を求め 恋におちた。

だが夫の自由が自分の家庭を築く事で

あったのに対し

モニカの自由が何事・何人にも縛られない

生き方を追求する事だったため

お互い思い描く自由が異なるのを理由に

それぞれ別の道を歩むことになる。


後半でモニカがカメラ目線で

1分くらいじっと睨み付けるシーンが

かなり怖い。
悲しみと絶望に満ちた眼差しで

カメラを凝視するその目は

観るものに恐怖感を抱かせる。

このシーンを観るだけでも価値があるのでは。

2007年1月22日月曜日

「それでもボクはやってない」

周防監督が言うとおり

「痴漢犯罪の冤罪」ではなく

「日本の刑事裁判制度の問題点」が

テーマとして描かれた

濃密な映画だった。


では「日本の刑事裁判制度の問題点」とは

何か。

主人公(被告役) 加瀬亮の台詞に

それは象徴的に表されていた。


「裁判とは真実を追究する場ではなく

 状況証拠や目撃証言をもとに

 有罪か無罪かを結審する場である」
       (筆者による意訳)


つまり 裁判における「真実」は

被告人にしか知り得ないという事であり

判決が「有罪」か「無罪」かという判断は

100%「真実」を語りうるものではない

という訳だ。


このことをさらに拡大解釈すればこうなる。


日本は法治国家であり

法の下の平等が保障されている。

そして国民は その法というルールを基に

日々暮らしている。

その法治国家 日本において

争いごとや犯罪は法を司る司法が判断を下す。

だが司法があくまで法の下に平等であるという

厳密なルールに従い意思決定を行う為には

状況証拠や目撃証言という

「客観的」な判断材料ももってしか

人を裁く事が出来ない。

そしてこの事は

司法判断にわずかばかり誤審の可能性を残す

余地があるという欠陥を否定し得ない。


映画で描かれていた「冤罪」のみならず

逆に疑わしき人が

証拠不十分で不起訴になる場合にも

同様の事が言える。

法の下に平等である事と

「真実」は必ずしも一致しないというジレンマが

この映画では緻密かつ克明に描かれている。


判決のシーンで息を飲んだ。

最後まで「有罪」か「無罪」かわからない展開に

緊張しながら 

じっとスクリーンを見つめ続けた。

2007年1月20日土曜日

「マリー・アントワネット」

世界史の教科書を投げ捨てて

3年の月日胸にしまい込んでいた

"ソフィア・コッポラ"という名の

美術の教科書を

みたび開く時が来た。


ギロチンではなく

ベルサイユ宮殿の割れたシャンデリアを


民衆が炊く革命の松明ではなく

フェルゼン伯爵との恋の炎を


百合の花畑を

野いちごを頬張る唇を

甘いケーキを


物質/精神という空虚な二分法を超え

ただスクリーンいっぱいに広がる

いとおしい全てのものを

我々は肯定すべきなのだ!

2007年1月16日火曜日

「LOFT」

「ミイラ取りがミイラになる」

という言葉がある。

この映画はそれを映像化する為に

黒沢清がメガホンを取った

サスペンスだ。

(ホラーという気はしなかった)


冒頭から中谷美紀が

黒い泥を口から吐き面食らう。

結局このシーンが

エンディングになって意味を持ち

話の辻褄が合うことになる。


しかしながら そこに行き着くまで

話はあっちに行ったり

こっちに行ったりする。


あらすじを簡潔に述べると

作家 中谷美紀がスランプを機に

編集者 西島秀俊の紹介で

田舎の廃墟に引越す。

そこで 千年前のミイラを持った

人類学者 豊川悦司に出会う。

そのミイラには永遠の愛の呪いが

かけられており

ふとしたことでそのミイラを

預かることになった中谷美紀に

怪奇現象が起こるようになる

・・・といった感じだ。


mixiの書き込みを見ると

面白くないという意見も多い。

でもそれは話の筋が掴めていないか

この映画を恋愛やホラーとして

観ているからではないか。

脚本が練られていて 

見ごたえのある佳作だと思う。

2007年1月13日土曜日

「パビリオン山椒魚」

好きだな こういう映画。

「シュール」と言えばどこかカッコよく

聞こえるが

ストーリー性がなく 小ネタ満載で

淡々と進んでゆく感じ。

それでいて 深いかと言えば

そうでもない。

この中身の無い

空洞な感じがとても心地よい。

「イン・ザ・プール」を見た時の感覚に

ちょっとだけ似ているかもしれない。

(あの映画もオダギリジョーだった)

でもどこかしかインテリジェンスな

匂いがするのがまた不思議なところ。

菊地成孔の音楽はドンピシャだった。

世間的な評価は二分しているらしいので

割引の日とかに見て

リスクヘッジした方がいいかも。

僕は 好きだな。

2007年1月10日水曜日

「紀子の食卓」

「あなたは あなたの関係者ですか?」

全編通して語られるこのモノローグは

自分という存在の確かさの真偽を

観客に問いかける。


自分という存在は

他者とのコミュニケーションによって

経験値を積み 形成されるものだ。

そして現代社会において

この自分形成の場の右翼が家族

左翼がインターネットコミュニティだ。

前者は土着的・保守的であるのに対し

後者は都市的・急進的だ。


主人公・紀子は

保守的でいい子を演じさせられる「家族」に

嫌気がさし ひとり東京へ家出する。

そこで紀子はネットで知り合った

「上野駅45さん」(女性)と出会い

彼女が主宰する「家族サークル」へ

身をおくことになる。


妹・ユカは

そんな姉・紀子の後姿を追いながら

自分探しを始め

やがて紀子と同じ「家族サークル」にたどり着く。

二人の娘を東京に奪われた父は

妻の自殺を機に 娘を取り戻そうと身辺操作し

ついに「家族サークル」の存在を知る。


そしてついに

「家族」vs「家族サークル」の闘いが始まる。

・・・


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「あなたは あなたの関係者ですか?」は

同じ園子温監督の「自殺サークル」などにも

共通し根底に流れるテーマらしい。

(「自殺サークル」は見ていない。)

ラストはいわゆるハッピーエンドというものとは

やや趣が異なる 独特のストーリーだった。

監督自身「挑発」という言葉で指し示すように

数あまたある 心温まる映画とは

対極に位置する

好き嫌いがはっきり分かれる作品だと思う。