2009年7月24日金曜日

米山俊直 『祇園祭』

米山氏(故人)は文化人類学者で

アフリカの狩猟民族や日本の農村をフィールドワークされたのち

未開や田舎のみを研究対象にすることは果たして

現代の人類学研究にそぐうものか? と自問した結果

都市をフィールドワークの対象にした"都市人類学"を構想しました


その研究成果のひとつとして

1973年の祇園祭を徹底かつ多角的に調べ尽くしたのが本書です


この本が面白いのは まず

調査隊の学生たちを描写した ユルい日記調の記述が随所に書かれているところで

(”××日に○○君がどこそこでファンタを飲んだ” といったユルすぎる情報多数!)

祇園祭に関わる人々と それを調査する学生たちを 同時進行で観察する という

二つの物語が平行線を保ちながら なおかつ

日本最大級の祭事がアカデミックに検証されてゆく醍醐味があります

(とくに序章と終章は小説のようにスラスラ読めます)


読み進めるうちに

神事としての祇園祭

町衆によるハレの日としての祝祭

そして祭を見物する人々のための観光

神事-祝祭-観光という三つが 緩やかにつながりつつも分離する

祭の都市化が浮き彫りになってきます

(例えば観光客は祇園祭を神事として参加してはいないはずです)


そして 都市化の波が担う町衆の後継者不足という問題と

観光客数の増減に運営する体制や経費が踊らされる経済的側面 といった

都市が祭を飲み込んだ行く末のリアルな現状 を目の当たりにし

祇園祭の影の部分にも目を背けず 容赦なく光を当てています


さらに 祇園祭の事例から都市化と人間との関係にまで踏み込み

都市に生活する人間における日常(ケ)と非日常(ハレ)について

一考を促すに至ります

(スーツ着て会社へ出勤するのは日常ではなく祝祭的な非日常にも成り得るように)


つまり 

祇園祭が抱える課題は都市における人間が抱える課題の縮図とも言い得る

といったところでしょうか



余談ですが この1973年の祇園祭を調査した学生たちは

大学の"文化人類学実習"という 一般教養科目のたかだか4単位のために

1年のうち相当な時間を費やしています

アツすぎる!


神事としての祇園祭は7月末日まで続きます

Gion Festivalは密やかに継続中です









2009年7月19日日曜日

石橋英子,Gianni Gebbia,Daniele Camarda

石橋英子さんの新ユニット"AOI" 新作リリース記念ライブへ行って来ました





マルチプレイヤーかつミステリアスな雰囲気が漂う石橋さん

一言で説明するのは到底無理なので割愛しますが




PVの監督は七尾旅人さんです



2:45あたりからの灰野さん めちゃくちゃカッコイイ!
石橋さんもナスノさんも映ってませんが…






今回の作品は道元,一休,宮澤賢治,などからインスパイアされた

アンビエントで日本的情緒溢れる世界に

即興的でアヴァンギャルドなsaxとbassの音が飛び交う

とてもとても不思議な魅力が満載 素敵な仕上がりです!






Gianni Gebbiaのsaxは 時に打楽器のよう,時に尺八のようでした



Daniele Camardaの6弦bassはシンセのような音色やフィードバック・ノイズも奏で 
bassの域を軽く超えていました(2:00頃からのbassソロ必見です!)


素敵な一夜をありがとうございました









2009年7月18日土曜日

「それでも恋するバルセロナ」

相当笑えて 相当泣けて

生きることと恋愛の位置関係を考えさせる

素晴らしい内容でした



ウディ・アレン作品という点を抜きに観ても

相当腹筋痛かったです

"ガキの使い"の大晦日罰ゲームを見るような気分


「ハモンハモン」の"ハムの人"

(ハビエル・バルデム "ニンニクの人" "「ノーカントリー」のおかっぱの人"でも可)

男前でどことなく大木こだま師匠に似ているそのルックスも相まって

赤いシャツに身をまとい顔のドアップを抜かれたあたりから

かつての彼の出演作(でも断然「ハモンハモン」!スペインだし)が頭をチラつき

あり得ないくらい大胆なプレイボーイ的提案を

2人の若きアメリカ美女(スカーレット・ヨハンソン,レベッカ・ホール)に

同時に吹っ掛けるあたりから 笑いをこらえるのに必死

(しかも 結果的にその大胆な提案に2人は乗っかる!)

公園で待ち合わせするシーンでガウディのトカゲの噴水を見ても笑えてくるくらい

感覚がマヒし 笑いのツボがスクリーン上に増殖して脳内を浸食


その後 形は違えど 2人のアメリカ美女たちは

"ハムの人"ことハビエル・バルデムにメロメロになってゆくわけですが

この2人の恋する心理描写が素晴らしかったです

片やオープン 片や秘めて 同時進行し

最初から火の中に飛び込んでいったり

火の用心という札を貼りながら本能的に火遊びを求めていったり


で 

ペネロペ・クルス登場で俄然面白さ100倍!

ペネロペはハビエル・バルデムと切っても切れない関係

2人はスペイン語が母国語なので 2人が会話する部分はスペイン語を

同じ場に居合わせたアメリカ美女に対しては英語を

並行して使い分けるのですが この会話劇がまた何とも言えず絶妙!


ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムは

情熱的で芸術家肌のスペイン人という

ステレオタイプ(もしくは意図的にやや誇張気味)に

描かれていて

彼や彼女と 登場する合理的で物質主義なアメリカ人との対比や

自分探しやアメリカ的理想の幸福を今まさに手に入れんとする女性たちの

恋愛と生きるという位置関係がぐらぐら揺さぶられる様に

観ているこちらまで えぐられているかのような思いがしました


テーマソングとナレーション 

そしてウディ・アレンお得意のおしゃれな街並みが

随所を引き締めてくれ だらだらせず 

息つく間もなくあっという間の1時間半強でした









2009年7月17日金曜日

「ウルトラミラクルラブストーリー」

横浜聡子監督の「ジャーマン+雨」

長年の勘で観るのを避けてきた映画です

京都みなみ会館で本人来館ありの異例のロングランを続けようとも

TSUTAYAでお手軽にDVDレンタルできようとも

頑なに拒んできました


僕はポップなものが平均以上に好きな男性だと思いますが

例えば 

梅佳代さんあたりから個人的違和感を感じる木村伊兵衛賞受賞の写真家の方々や

同じく長年の勘で未見でありながらも観ると絶対後悔するであろう「かもめ食堂」など

ポップなら何でも受け容れるわけではないどころか 逆に意固地です


前置きが長くなりましたが 

にもかかわらず「ウルトラミラクルラブストーリー」を慌てて観に行った理由は

浅田彰さんとミルクマン斉藤さんという

学生時分に少なからず観るべき映画のチョイスを学ばせていただいたお2人が

ともに公式サイトに絶賛コメントを寄せていることを知ったからです


感想ですが

喜怒哀楽どれにも引っかからずぽかーんと2時間が過ぎてゆきました

退屈も苛立ちも少なく 最後まで観通すことは出来たのですが

何かを得たと思しき感動を映画館から持ち帰ることは出来ませんでした

もちろん 安直に結論めいたものを提示され思考停止するよりは

鑑賞者の想像力に委ねてもらった方がマシなのは言うまでもありませんが

後者に近いながらも思考停止に陥り気味で面喰った感が若干ありました


それでも

観て良かった気はしなくもない何かは残る・・・

という奇妙さ

他作も含め横浜聡子監督については しばし態度保留します


大友良英さんの音楽にアウェイを感じたのは僕だけでしょうか?

もちろん「幽閉者」のラストのような

もはや作品と同化したと言って過言ではない秀逸さは 

初めから求めていませんでしたが

劇中 石川高さんの笙の音が若干むなしく響いて聞こえました


でも いちばんのツッコミどころは

"衣装 伊賀大介"

というエンドロール

どこ? 嫁が羽織っていたあのラヴェンハムかどこかのジャケット?











2009年7月15日水曜日

江藤 淳 『妻と私』

かつて亡くなった祖母の書斎から

「文芸春秋」江藤淳哀悼号を見つけ

手に取った










文学者は何故自らの命を絶たなければならないのか

理解出来なかった

しかし 「妻と私」を読んで

江藤の場合 自殺は必然の結果であったと

ある意味納得させられた






江藤が自ら絶命した理由は

恐らく「死の時間」から逃れられなかったからであろう






本書の巻末には

「日常性と実務の時空間に向かう大道を、歩み始めている。」

とあるが

それは「もう少し仕事をなさい」という「妻」の「幻影」に

短期的に突き動かされたに過ぎず

時が経つにつれて再び「死の時間」に

江藤は徐々に支配されていったのではなかろうか






「死の時間」から解放されるためには

「日常性」に戻るか

「死の時間」を意識せずに済むか

の二者択一に迫られる






江藤にとって「日常性」とは「妻」と愛犬がいる生活を指す

であるとすれば

「死の時間」から解き放たれる選択肢は

必然的に後者にならざるを得ない






江藤家は未来に築くであろう家庭のひとつの理想像でもある

愛する人と 可愛い犬に囲まれた生活

江藤夫妻の41年間に及ぶ「日常性」の幸福に倣いたい

それが「死の時間」という宿命から逃れられないとしても











2009年7月12日日曜日

EYヨ,抜水摩耶,Chim↑Pom

恵比寿NADiff a/p/a/r/tで

EYヨさんの個展『& Co. Soon』を観てきました


B1Fと3Fの2フロアでそれぞれ

EYヨさんがジャケットをコラージュしたレコードの展示・試聴・販売

車のボンネットに施したドローイングの展示

をされていたのですが

B1FではEYヨさんらしさ全開のコラージュの洪水に 

目チカチカ!頭クラクラ!顔にんまり!

3Fでは民族や自然をモチーフにしたであろう

繊細かつ深く塗りこまれた線画の浮遊感に圧倒!

とてもとても素晴らしい内容でした



開催を事前に知らず偶然観ることができた

2Fでの抜水摩耶さん個展“I'm strong, You're weak”

お金に余裕があれば絵を買って帰りたかったです


抜水さんを知ったのは 

彼女が田名網敬一さんの下で学ぶ大学時代から数々の賞を受賞し 

飛ぶ鳥を落とす勢いで頭角を現し始めて以降ですが

ちょうど原美術館にて開催中の松井みどりさんによる企画展などで見受けられる

奈良美智さんやカイカイキキの系譜にある作品よりも

Girlyの攻撃的側面を鋭角的なタッチで平面に落とし込んでいる手法が 

個人的に好きです














恵比寿から麻布方面へと移動し

山本現代でChim↑Pomの個展 「にんげんていいな」を鑑賞

これまで同様にラディカルでありながらも これまで以上に深く考えさせられる

パーティーの宴のあとのとっ散らかった残骸とパーティーの映像を流したモニターと

稲岡求さんが自ら"即身仏"として展示の対象となっているインスタレーションとを

対面に対照的に配置させ 

飽食に溢れた現代社会の享楽を おしつけがましくなく深くえぐり取り

見事という他ない内容でした









2009年7月10日金曜日

トゥルゲーネフ 『初恋』

16歳の少年ウラジミールが
21歳のジナイーダという貧しくも心の気高い伯爵令嬢に
もてあそばれていながら恋心は止められずにいたが
ジナイーダが見知らぬ誰かに恋をしていることを知り
ウラジミールを子供であること友達であることを強調しはじめると
自分が大人の女性にとっては子供であるということを知ることで
ウラジミールは次第に大人へと成長してゆく

だけではなく

伏線が比較的わかりやすいため 
ウラジミールの恋敵が誰なのか?という点は話のキモではなく
恋敵の正体が誰であるかを気になりながらも
ウラジミールの恋心は鎮まるどころか
ますます "新たな勢いで燃え上がった"

だけではなく

恋敵の正体を知ってしまったウラジミールは
"脳みそを半分抜き取られたウサギのような目" をしていたが
その後ジナイーダと
"そんな感情は二度と経験したく"はないが
"もし一生に一度も経験出来ないとしたら" "自分のことを不幸だと思う"
"甘さをむさぼるように味わう"ことになる

だけではなく

ジナイーダの"一生" "記憶に刻み込まれた" "思いがけない姿"を見て
ウラジミールは恋が愛に敗北することを知り 
心の底から大人になった実感を味わう

だけではなく


ウラジミールが"ある貧しいお婆さん"へと投げかける
ジナイーダへの初恋に対する祈るような想い
それは 初恋の呪縛から解放されたか否かわからぬままではありながらも
ジナイーダが放つ魅力と惹きこまれてゆくウラジミールの心との関係を
否定するものではなく
ウラジミールの恋は愛に敗北してもなお
愛よりも恋に肩入れして肯定したくなるくらい甘く美しいと思った

だけです

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"光文社古典新訳文庫" を読んだのは初めてです

予想以上に読みやすく また(これが一番重要ですが)面白く読めました

(ちなみに既訳は "ツルゲーネフ「はつ恋」" という表記だったと思います)

既訳ファンから新訳は軽いだ何だと とかく非難を浴びやすいですが

僕はそれなりの人が面白い作品を面白いと思い訳したものは面白いはずだ

と思っています