2009年3月29日日曜日

勝井祐二 in the Dark

エレクトリック・ヴァイオリニスト 勝井祐二さんの
かなり刺激的なライブを体験してきました

"in the Dark"というのは
ドイツのメルス・フェスティヴァルという音楽祭で行った
"Dark Tent"という室内を完全な暗闇にして
視覚障害者の方と同じ環境で演奏し聴くという
画期的なライブ・パフォーマンスを
日本でも行うために勝井さんが企画されたものです

つまり 限りなく眼が見えない状態で
演奏者も観客も音楽を体験する ということです

ここからはライブの感想なのですが
僕は人間の五感や器官に関する科学的知識は無いので
いち参加者の個人的感想としてお読み下さい
(他の方々が全く異なる感想を持ってらっしゃる可能性はあり得ます)

会場は床に直接座る形式をとっていたのですが
暗転して真っ暗になると
まず 残像として残っていたまわりのお客さんの黒い影が
次第にじわじわと消えてゆき 全く見えなくなります
そうすると 目を開けているにもかかわらず
何も見えていないという 奇妙な感覚に陥ります
黒く暗い空間が見えている というよりは 無に近いものを感じました

視覚が失われていくと 不思議なことに
耳が冴えてきて 聞こえがよくなったように思えてきます
そうすると面白いことに 演奏されている音楽と
それ以外の音が 峻別されて同時に聞こえてきます
それ以外の音 つまり 
床にきしむ靴音 上着がかさかさ擦れる音 咳払い 鼻をすする音など
通常ライブでは気にもとめない音が 
ものすごい邪魔な雑音として ハッキリ認知されるわけです
次第にそれは 演奏されているほうの音楽に聞き耳を立てているうちに
気にならなくなって 意識の外へ追いやることが出来ました

また 通常のライブでは 前方のステージ側から音が鳴っているという感覚が
視覚的な効果も手伝ってか強いのが一般的だと思われますが
音がうなじや腰のあたりなど 360度全身サラウンド感覚で
音が体に響いてくる感じがしました

さらに 左の耳と右の耳では 拾っている音が微妙に違うような気が
するようなしないような このあたりは特に微妙なところです

僕がいちばん興味を持っていた
この状態で音楽を聴いて 像を結ぶか という点については
僕は結局視覚的なものは一切浮かばず
先程も言ったような無の空間に音が鳴っている 
といった感覚でした

勝井さんと山本精一さん(ギター)という2人編成で
約1時間半暗闇の中で音楽と向き合ったわけですが
後半は音楽に没入しすぎたせいで
自分が起きているのか眠っているのかよくわからないような
奇妙な心地良さに襲われました

勝井さんはご自身が所属するバンドやユニット以外にも
ロック・ジャズ・現代音楽など さまざまなジャンルで
幅広くセッションを精力的にこなしてらっしゃいますが
この"in the Dark"に関しては 他の勝井さんのworkとは
全く切り離してとらえるべき企画だと思いますので
あえてリンクや動画は貼らないでおきます

代わりに 勝井さんの音楽を全く聴いたことが無い方や
そもそもライブにはあまり行かない方にも
視覚が失われた状態で音楽を聴くとどういう感覚になるのかを
生演奏で体験することが出来る 
とても貴重な機会でおすすめです









2009年3月23日月曜日

BECK in Zepp Osaka 20090322

BECKは"今回のアルバムがどう"とか
"ライブでこの曲やってくれないなんて!"と一喜一憂せず
出会ったとき受けた衝撃的な初期衝動をずっと持続させてくれる
揺るぎない存在です

"ベック"=スゴ腕ギタリスト(ジェフ・ベック)という連想ゲームが
当たり前だった90年代も半ばに差し掛かった頃
自らを"負け犬"と称する1曲と運命的に出会い
後頭部を思い切りガツンと得体のしれない鈍器で殴られました

居ても立ってもいられず 「Loser」のレコードを探しまわる日々
やっとのことで見つけた 奈良にある有名な謎のレコード店
渇望していたモノが手に入るときの喜びとありがたみを
噛み締めながら家路につき 何度も何度も針を落とし聴き耽りました

以来 BECKのJAPAN TOUR は皆勤賞です

毎回脱力するような演出で楽しませてくれるBECK
今回は前座の
"東急ハンズで買ったような手品を
80年代ハードロック風シンセ(例.ヴァン・ヘイレン"JUMP")をBGMに披露し
その後再び明転して何事もなかったかのようにセッティングする"
という すばらしすぎる脱力系ネタでした

「GAMMA RAY」~「DEVIL'S HAIRCUT」という序盤から
「NAUSEA」「QUE ONDA GUERO」に至るまで
新作アルバム「MODERN GUILT」風味でコトコト煮込まれ溶け込み
スープが隅々まで浸み渡っている感じ


・・・かと思うと DSリズム天国感覚で遊び心満載「HELL YES」や
イントロ後いきなりパンクに転調したせいで
思わずヘッドバンギングして"Xジャンプ!"したくなった「GIRL」など
相変わらず小ネタの効いたアレンジの嵐!

でも彼のいちばん感心させれるところは
「LOSER」を一度として同じアレンジでやらない
粋なところではないでしょうか



アンコールの「SEXX LAWS」まであっという間
毎回観終わったあとの腹八分目な感覚も相変わらずですが
それも許せてしまう寛容さは
肩の力が入り過ぎていないなりに完璧な
エンターテイメント性高いステージパフォーマンスへの
裏返しだったりします

白色LEDの上で写真が動くような映像のアートセンスにぬかりがないのも
フルクサスで名をはせた芸術家を祖父に持つ彼ならでは 
こちらも毎回流石です


ライブ前にカンテ・グランデ本店でお茶したのですが
話題の中心のひとつが

ジェーン・バーキンについて

でした















2009年3月21日土曜日

「フィッシュストーリー」

意外だった

観終わった後 いや観ている最中既に
伊坂幸太郎作品の映画化という背景はどこかへ消えてしまい
代わりに 斉藤和義が書き下ろした「fish story」という曲に
インスパイアされ創り上げられた話のような思いで観ていた

斉藤自身

「"小説なのに音が聴こえてくる"
 そんなことを伊坂さんと話していました。
 (中略)今回書き下ろした楽曲は
 自分の中に聴こえてきた音を具現化したもので・・・」

と語っており
なおかつ 斉藤和義の音楽に影響を受け
小説家に専念した経緯がある伊坂であるがゆえ
タマゴとニワトリのごとき話ではあり
どこが伊坂でどこが斉藤か明確に区分出来るものでもなく
言わば合作・共作のようなものと言えなくもない

ただ原作を読んで感じた時空を超え細く・長く・強く人々が繋がる
伊坂ワールドの真骨頂と
「fish story」という日の目を見ず黙殺されていた早すぎた名曲が
未来において地球を救うきっかけとなるという映画の脚本は
似ているようで全く同じものではない感じがした

映画の脚本は原作の意図からズレない範囲内で
意外と大胆に書き換えられていて
結果 原作と映画に於いては 感じる部分に違いが多かった

違う印象を受けた大きな理由のひとつに
原作には

"正義の味方にとって大事なのは肩書きや職業ではなく 準備だ"

という物語のカギを握る重要なキーワードがあり
このキーワードが人とのつながりに於いて重要性を帯びているのに対し
映画にもこのキーワードはせりふとして実際に出ては来るとはいえ
つながる要素として強く作用している言葉にはあまり感じられはしなかった

映画にはその物足りなさを埋める要素として
「fish story」という曲自体がとても強く全面に出されており 
過去 現在 未来 いかなる場面でも強く印象的に耳に残る
実に耳に残る 今も頭にこびりついて消そうと思っても消えない
深夜に珍妙なCMソングを聞いてしまい 
それが翌日働いていても消えないのと同じくらいに消えない
そういう意味では「fish story」という曲によってこの映画はつながっていると
言えなくもない

だが そのつながりかたのニュアンスが
原作のどこか謎めいていてファンタジックな感覚というよりもむしろ
「fish story」を作った"逆鱗"というバンドが
それぞれの時代において爪痕を残す
言わば ひとつのバンドの生きた証を綴るという感覚が
強かった

「音楽映画のようになってしまうとつまらなくなりそうで嫌だな」と
観るまでは思っていたが
逆に観終わった後の感想としては 
「音楽映画として観てむしろ良かった」と思った

「アヒルと鴨のコインロッカー」で感じた
中盤で景色がガラッと変わって見えるような"オチ"的要素は
今回も無い事は無く
それはエンディングぎりぎりまで引っ張っていた
"オチ"は原作と違いはするものの趣旨は類似したものであり
加えて 伏線がわりとわかりやすく描かれていた為
あまり衝撃的に感じるものではなかったのが正直なところだ
(映画だけを観たらしき客の会話に聞き耳をたててみたが 
ほぼ同様の事を言っていたように聞こえた)

だが観終わって考えてみると
そもそも「アヒル~」と並列にして比較することにあまり意味はなく
音楽に青臭く嘘がつけない人々が持つ純粋な情熱を
受け止めることのほうが 
よほどこの映画に真摯に向き合う姿勢として大切な気がした

原作が持つ寡黙なのに豊潤なあの魅力は明かに欠けていて
過剰気味に饒舌で冗長な感は否めなく
そこは映画の魅力を損ねる要因になっているように感じ取れ
正直気にはなった

だが最後まで観うるものであったのは
「fish story」をレコーディングするシーンに
伝わるものがあったからではないか?と思う
(ちなみにこのシーンは原作をほぼ忠実に映像化している)

前述した通り「fish story」という曲が耳にこびりついて
頭から消えない
似た状態に陥った人はおそらく
僕と同様 帰宅後大急ぎで
i-Tunes storeから「fish story」の
(劇中オリジナルバージョンではなく)"斉藤和義ボーカルバージョン"を
ダウンロードして買うか
もしくは 多くの観客がそうしていたように
劇場の売店でパンフではなく映画のサントラCDを
記念に買って帰ることになるだろう









2009年3月4日水曜日

KIKIKIKIKIKI

気鋭の振付家きたまりさん率いる
コンテンポラリー・ダンス集団KIKIKIKIKIKIの新作"OMEDETOU"を観に
京都文化博物館へ行って来ました

きたさんのお名前は存じ上げていましたが
彼女が振り付けしたダンスを観るのは初めてで
当日まで敢えて予習せずに臨むことにしました

ヤバかったです かなり
明らかに笑わせようとしている含みは伝わってくるものの
易々とは笑わせようとはしない狂気的な空気が

ダンサーの非連続的で軟体動物のような動き 
目をひん向いたり舌を突き出した野獣のような表情 
まさに奇なる声とも呼ぶべき奇声

などを介し空間を支配する挑発的なパフォーマンスでした

印象的なシーンをひとつ挙げると
ダンサー(全員若い女性で 背格好バラバラです)の一人が
衣装を黒ワンピースから生成りっぽいウェディングドレスに着替え
後方で別の黒ワンピース女性3人が ウクレレ ラッパ(小) 雪平鍋(?)を鳴らし
行進をしたあと それぞれの楽器をウェディングドレス姿の女性に
花のレイを掛けるように首から下げてあげた途端
その女性は鍋を片手になんとも言えぬ(ブサイクな)表情で
能を舞うような動きをしたかと思うと
再び黒ワンピースに着替え 
何事もなかったかのように one of them になる
といったものがあり 
このシーンにはド肝抜かれました

会場の京都文化博物館は
もともと日本銀行京都支店だった古い洋館なのですが
セット一切なしの暗がりに正面から照明1本あてることで
白壁にダンサーの影が投影されるという演出は
とても美しいものでした

きたまりさんの舞台 病みつきになりそうです