2009年9月23日水曜日

「火の馬」

この映画は例えば「スラムドッグ$ミリオネア」のように

"貧しいけど運命だか偶然だか何だかわかんないもののおかげで人生何とかなるさ!"と

幸運が有り余ってマサラ・ビートでダンス!みたいな陽気なノリとはほぼ180度逆で

不幸の連続人生恨み節で死者が出たら笛吹いて踊るひたすら重く暗い90分

一言で言えば とても薄気味悪い映画です


その薄気味悪さのルーツは主人公イワンの少年時代にさかのぼります

少年時代にイワンは家族と教会へ行き1枚の絵画を目にし

"これは悪魔なの?"と尋ねると

父親は

"悪魔(サタン)は人間の心の中にのみ存在する"

と答えるのですが

この父親の一言が「火の馬」全体の骨格となっています


すなわち 

人間の妬みや憎しみに作り出された悪が全ての登場人物に覆い被さり

悪が人々に連鎖しながら次々と不幸な出来事を巻き起こしてゆくのですが

その不幸は第三者にとってただの噂話や音楽に合わせて踊る酒宴の対象でしかなく

そこに再び妬みや憎しみによって悪が作り出される余地が生まれ・・・の繰り返しで

登場人物のほぼ全員 度合いの違いはあれ悪の要素を心のうちに秘めています

唯一悪の要素が無いと言えるのはイワンの幼馴染みで恋人のマリーシュカだけです

イワンもマリーシュカと幸せな恋愛を持続出来ていれば悪の要素をを持たなくて済んだのですが

偶然(運命?)が引き起こした とある出来事によって

イワンの人生は一変して不幸のどん底へと堕ちていってしまうのです
(ここが「スラムドッグ$ミリオネア」とは大違い!)


「火の馬」というタイトルは "走馬灯"という言葉に近いのかもしれません

劇中で人の死にまつわるシーンがいくつも出て来ますが

そのシーンにやたらと斬新な映像表現があてがわれている気がします

人が殺されるシーンや とある人物の死を象徴するシーンなどが

この映画でしか見たことのないような表現のされ方をしていて

血が噴き出すホラーなどとは全く異質の記憶が尾を引きます


もうひとつ印象に残るのは 舞台となるウクライナ民族の土着性です

宗教・音楽・祭り・精霊といったものが深く深く日常生活に入り込んでいて

この土着性が妬み・憎しみ=悪と深く関わっているのも物語の特徴です


とにかく 救いの要素ほぼゼロ!

映画が終わり映画館を出て大きく深呼吸することで救われたと思うほどです(笑)

それでも自宅にあるDVDではなく わざわざ映画館まで足を運んで

救われない気持ちになる悲劇を目の当たりにすることは

生きているという実感や充実感を教えてくれることを意味するとも

言えるのではないでしょうか

幸いにして人間の心の中に潜む悪を映し出すのはパラジャーノフの圧倒的な映像美です!









2009年9月21日月曜日

『三月の5日間』







岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』収録

演劇で有名な「三月の5日間」をようやく読みました


内容を乱暴に一言で説明するならば


"外国の街に旅行で行ったりするときに味わえる、

日常感を寄せ付けずにいられる数日間の感じ。

それをなぜか今、

それなりに慣れ親しんでしまっている渋谷にいるというのに

味わえているということ"



という本文中の箇所が妥当と思われますが 

もう少し具体的に補足すると

六本木に実在するライブハウスで出会った男女が

アメリカがイラクを攻撃した5日間 渋谷のラブホテルで

テレビも付けず携帯の電源もオフにして過ごしたときに

味わうことができた非日常感に関する物語

と言い表すことができると思います


この小説が面白いなと思ったのは

まるで外国の街にいるような渋谷が普段通りの渋谷に戻る

じわりじわりと非日常が剥がれ落ちてゆく過程を

あたかも自分自身が体験しているかに思える

リアルなものとして味わえたところです

言うまでもなく(5日間ホテルで…という)経験としてではなく

感覚としてという意味に於いてです


似たような感覚を自ら望んで味わうために

何かしらの経験をしたことは

大なり小なり誰しも過去にあるはずです

朝日で街が徐々に明らむように

非日常から日常へと戻ってゆく感覚のリアル

それはきっと小説の中の疑似体験というよりは

実体験を回想しそこから感じ取る郷愁に寄るところが

大きいのではないでしょうか


加えて渋谷の街に馴染みがある読者にとっては

格段にリアリティが増します

東急百貨店の向かいにあるコンビニ 

センター街にある950円カレーランチバイキングの店

ロッテリアと同じビルにある銀行…など

実在する店や路地や坂が方角も正しく描かれていることが

日常が非日常に変わる意識を鮮明にすると同時に

非日常から日常へと完全に戻るまでの間

わずかばかり存在する曖昧な部分に

"吐き気を催す" 感覚を

理解可能なものにしているからです


本来であれば 

戦争との関係や戦争を遮断した若者が持つ空気の意味など

語られるべき点は僕などが考え得るよりも遥かに深く

物語の中に練り込まれていることでしょう

しかしながら 

そこを敢えて意識しなくとも味わえる濃密な5日間は

非日常へ誘うスイッチとして十分余りあるものです









2009年9月7日月曜日

ASA-CHANG&巡礼

伊勢→浜松→岐阜とゴーイング・マイ・ウェイなツアー(文字通り"巡礼")を続ける彼らが

今宵行きついた先は おなじみクラブメトロ


客席はカーペットに座布団の"メトロ大學"仕様で

今日は聴くモードなのかな? といったたたずまい


舞台も畳敷きの座敷に楽器がゴロゴロ並べられ

そこをブラックライトで照らすという 一風変わった趣を見せていました


客は年齢層やや高め?だったのでしょうか

"巡礼ジャージ"着た気合いの入った客を想像していたせいもあり

場は予想よりも大人しい雰囲気が漂っていました


今日ライブを観てあらためて思ったのですが

ASA-CHANG&巡礼って最近のcorneliusと通ずるものがある気がするんです

音と言葉がほとんど同義で 数学的な音感で音(言葉)遊びをしているところや

(例えばASA-CHANG&巡礼"十二拍子" cornelius"GUM")

無駄を最大限削ぎ落としたミニマルな音に少しコミカルなコラージュを忍ばせるあたり

特にそう思います

ただASA-CHANG&巡礼の場合 民族楽器などで生音をとっかえひっかえ演奏する分

もう少し土や汗のにおいがしたり

歌詞に人としての感情をより意図的に反映させているところはあるのかな?

とも思います


正直に言うと会場はASA-CHANGのキャラクターの意に反して静かだったのですが

(MCでもそのあたりを何度もぼそぼそと・・・)

それでも代表曲"花"や

新作の表題曲"影の無いヒト"は 聴きほれるくらい素晴らしい演奏でした

(特に後者での ASA-CHANGが口にシンバル加えながらの熱演は素晴らしかった!)



アンコールはやや"24時間テレビ"的空気を客席が半ば義務感にかられ醸し出していたのが

とても可笑しかったのですが

(・・・というか ASA-CHANG自身がやらせておいて笑ってるし!)

まあ 御愛嬌ということで









2009年9月6日日曜日

Anna Gaskell

Youtubeを彷徨っていると 

自分が欲している動画にバッタリ出会いハッとさせられることがあります

アップロードした主の思いと閲覧する側の意図は

必ずしも一致するわけではないと思いますが

いずれにせよ 

こういう出会いは嬉しいものです


前々からぼんやりとそう考えることはあったのですが

Anna Gaskellのスライドショーがアップされているのを見付けたときには

喜びと驚きが共存し

いささか興奮しました





アリスにまつわる作品が好きなのは

少女が成長する過程で毒に触れ好奇心を持つモチーフに

イノセントな魅力を感じるからです









2009年9月4日金曜日

川上未映子『ヘヴン』

『群像』を買い逃したため 単行本を予約し初版で読了することが叶いました


主人公の"僕"と"コジマ"という女性の2人のか弱さが強い意味を持つため

ややもすると 危うく善悪という二分の罠に陥りそうになります

しかしながら そこに"百瀬"という強い無意味を持つ人物が登場することにより

"僕"と"コジマ"=意味の強度 と "百瀬"=無意味の強度が融け合い

昇華した先に救いの活路が見出せた気がします


学校における不条理ないじめがテーマとして扱われているのは

恐らく病理や狂気が蔓延する現代社会総体のアナロジーだと思われますが

重要なのはつまり ちょうどいじめる側といじめられる側の住む世界が異なるのと同様

世界に意味を求めるのと無意味とやり過ごすのは世界の切り取り方の違いであり

どちらが善でどちらが悪だとラベルを貼ることがすべてではないという

投げかけにあると思います


読んでいて幾度となく辛くなりました

それでも苦痛を伴いながらそれを"受け入れて"

息つく間もなく最後まで一気に読み進めた先に辿り着いた風景は

美しいものでした


ナチュラルな文体への変化とラストシーンは

恐らく兼ねてからの読者の評価を大きく分かつものです

しかしながら 

文体は変われど著者が持つ感受性の強さを窺わせる描写は瑞々さを増し

僕個人としては違和感がないどころか 人としての喜びを実感した読了後が幸せでした


優しい方なのだと思います










2009年9月3日木曜日

姫路的形SOUND FESTIVAL

Aaa

姫路的形SOUND FESTIVALという野外イベントに行って来ました


Aaaa

会場は海水浴場だったのですが

ピークは過ぎたものの海水浴と潮干狩りのお客さんでそこそこ賑わいを見せていました


Aaaaa

微笑ましい光景を横目に 朝から夕までひたすらDUB漬けの1日


Aaaaaa


Aaaaaaa


Aaaaaaaa

最高音響音響最高!

海を背中に爽やかな潮風の下 過密過ぎずゆったりとフリーで踊れる空間

申し分ない環境でした


さて 今回一番のお目当てはコレです


Aaaaaaaaaa

GOMA&The Jungle Rhythm Section


ドラム椎野恭一さん,パーカッション田鹿健太さん,辻コースケさん

日本最強のリズムセクションと

デジリドゥー・マスターGOMAさんが奏でる一騎当千な精鋭部隊のGROOVEなくして

日本の音楽を語ることなかれ

(と個人的には声を大にして言いたいです!)

ひたすら踊ったり 座ってのんびり聴いたり 寝転がったり 食べたり飲んだり  

海を見つめたり

それまで自由に過ごしていたpeopleたちが 示し合わせたようにステージ前に殺到

みな踊り狂ってました

(決して大げさではなく "狂っていた" という表現が妥当です)





もう楽しくて楽しくて・・・このユニットでの野外は初めて観ましたが激ヤバでした


Aaaaaaaaaaa

そして今回もうひとつの目玉 我らが(地元出身) こだま和文さん

夕暮れ時に響くトランペットの音色 ハマりすぎ!反則!

こちらは一転して 1曲目から"レクイエム"

例の朴訥とした口調で あんな人やこんな人の名前がつぶやかれ・・・

(そういえばフィッシュマンズTシャツ着てる子見かけたなぁ)



夏の締めくくりにふさわしい すばらしい内容でした