2009年9月21日月曜日

『三月の5日間』







岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』収録

演劇で有名な「三月の5日間」をようやく読みました


内容を乱暴に一言で説明するならば


"外国の街に旅行で行ったりするときに味わえる、

日常感を寄せ付けずにいられる数日間の感じ。

それをなぜか今、

それなりに慣れ親しんでしまっている渋谷にいるというのに

味わえているということ"



という本文中の箇所が妥当と思われますが 

もう少し具体的に補足すると

六本木に実在するライブハウスで出会った男女が

アメリカがイラクを攻撃した5日間 渋谷のラブホテルで

テレビも付けず携帯の電源もオフにして過ごしたときに

味わうことができた非日常感に関する物語

と言い表すことができると思います


この小説が面白いなと思ったのは

まるで外国の街にいるような渋谷が普段通りの渋谷に戻る

じわりじわりと非日常が剥がれ落ちてゆく過程を

あたかも自分自身が体験しているかに思える

リアルなものとして味わえたところです

言うまでもなく(5日間ホテルで…という)経験としてではなく

感覚としてという意味に於いてです


似たような感覚を自ら望んで味わうために

何かしらの経験をしたことは

大なり小なり誰しも過去にあるはずです

朝日で街が徐々に明らむように

非日常から日常へと戻ってゆく感覚のリアル

それはきっと小説の中の疑似体験というよりは

実体験を回想しそこから感じ取る郷愁に寄るところが

大きいのではないでしょうか


加えて渋谷の街に馴染みがある読者にとっては

格段にリアリティが増します

東急百貨店の向かいにあるコンビニ 

センター街にある950円カレーランチバイキングの店

ロッテリアと同じビルにある銀行…など

実在する店や路地や坂が方角も正しく描かれていることが

日常が非日常に変わる意識を鮮明にすると同時に

非日常から日常へと完全に戻るまでの間

わずかばかり存在する曖昧な部分に

"吐き気を催す" 感覚を

理解可能なものにしているからです


本来であれば 

戦争との関係や戦争を遮断した若者が持つ空気の意味など

語られるべき点は僕などが考え得るよりも遥かに深く

物語の中に練り込まれていることでしょう

しかしながら 

そこを敢えて意識しなくとも味わえる濃密な5日間は

非日常へ誘うスイッチとして十分余りあるものです