2008年12月17日水曜日

「落下の王国」

映画の好き嫌いは鑑賞直後にハッキリとするタイプだ。
(その分再度観返して嫌い→好きに変わることも稀にある)
だがこの映画に限っては観終わって映画館で頭を抱えてしまい
好きとも嫌いとも言い切れない気持ち悪さを未だひきずっている。

世界遺産をロケ地に使用した壮大なスケールと
石岡瑛子が手がけた衣装を身にまとった登場人物と聞いていれば
美しい映像など事前に容易に想像がつく。実際文句なく美しい。

だがその美しい映像とやらを結ぶ像が
入院中の若い男性と近所に住む幼いが早熟な少女との
会話上の寓話のようなものから結ばれているという全体の筋書きに
なかなか入りこむことがどうしても出来なかった。

それならば・・・と心の中で耳栓しながら観ようと試みるも
病院での男性と少女のシーンが予想以上に多いのに加え
肝心な美しい映像も場面(ロケ地)が目まぐるしく変わるせいもあってか
時間の流れが早く全体的にせかせかしている気がして
もっとじっくりゆったり映像を観ていたいという我が意にやや反していた。

だからと言って嫌いな映画と容易に切り捨てるにも違和感を覚える
何かがある。
予備知識なしに観たので詳しい背景は知らないが 
スパイク・ジョーンズも関わるアメリカ映画であるにもかかわらず
ヨーロッパ映画へのオマージュとおぼしき映像がやたら出てくる。
(勘違いでなければタルコフスキー セルゲイ・パラジャーノフ
テオ・アンゲロプロス チェコアニメ 
そして「ニュー・シネマ・パラダイス」など)
それが本作においてどういう位置づけであるのか
また作品に添える美しい花となっているのか
それさえ判断がつきかねてさらに頭を抱えてしまったわけであるが
「構想26年 撮影期間4年」を要した
間違いなく"ヒット"ではなく"ホームラン"を狙っている作品であるという
風格らしきものは何となく感じ取れた。
2月にDVDが出たタイミングで再度観てみようと思う。
理想を言えば映画館並みのハイスペックなスクリーンで観返してみたい。

















2008年11月8日土曜日

Speakers「デザインする身体」vol.1 minä perhonen 皆川明

minä perhonenのデザイナー皆川明さんを講師に招いた
ワークショップに参加してきました。

開始30分前に会場に着いたにもかかわらず
立っている方が大勢いて
「有料なのに立ち見はちょっと・・・」という気持ちもあって
スタッフの方に尋ねたところ 前方に若干空席があるとのこと。
急いで前方に駆け込んでみると 一席だけ空いていました。
空いているのにはそれなりの理由がありまして
皆川さんが座るであろう椅子と向かい合わせの最前列だったからです。
会場は8割女性で 少なからずブランドのファンと思われる方々。
そんな中 全身アンダーカバーで身をまとった男性が
皆川さんと紅茶の冷めない距離で見つめ合いながら話を聴いて
果たして良いのだろうか?と自問自答・・・など全くせず
何のためらいもなく堂々と座らせてもらうことにしました。

実はこのワークショップ 主催者が以前勤めていた会社の元先輩。
しかも内定をもらったあと1回目の食事会で
向かい合わせでスープの冷めない距離で本当にスープをすすりながら
話をさせてもらった個人的に印象に残っている先輩だったから驚き。
(その食事会は内定者の学生と同じ大学出身の先輩が向かい合わせで
 座るという席次だったが 僕と同じ出身大学の先輩が居なかった為
 別だが同じ京都にある大学出身のその先輩が僕と向かい合わせに
 座った)
久しぶりにお見かけしましたが 見た目がすっかり変わっていてビックリ。
いかにも文化人的な知的風貌に洗練されていました。

見た目といえば 皆川さん。
僕は皆川さんの服や柄はもちろん知っていましたが
皆川さんご本人の姿を写真で見たことがありませんでした。
ナチュラルでかわいらしくフェミニンな絵柄から
鎖骨をグーで殴れば全身の骨が崩れてしまいそうな
線が細く華奢な男性だと勝手に思い込んでいました。

でも実像は 昭和の男 みたいな感じでこれまたビックリ。
それなりにがっしりして体脂肪率低そうな筋肉質の体に
角刈りとスポーツ刈りをさまようような髪型と味のある顔。
デザイナーというよりは職人っぽさがにじみ出たルックスでした。
後に話に出たのですが 皆川さんはブランド立ち上げの頃
アパレルだけでは食えないので魚市場でも働いていたらしいです。
そう言われると実に説得力のある顔をしているなとしみじみ。

さて肝心の内容ですが
インテリア ファブリック 服 デザイン論 
現在のファッション業界との接し方など
内容盛りだくさんなので全部書くのはかなりしんどいです。

なので あえてminäっぽくない作品3点の紹介と
いちばん印象に残った皆川さんの言葉を書くことにします。

まずは「fujisans」という柄
Fujisans
この作品は"既成概念の側面を見せる"というテーマで
誰もが知っている富士山を違った側面から描くことに主眼を置き
その違った側面を見せるためにデザインが必要だという
思いが込められているそうです。
ちなみに水色のボーダー1色で描かれているのは
水色ボーダー1色で描くという縛りを皆川さん自ら設定して
その制約の中から生まれるクリエイションがどんなものになるかを
実験したとか。

次に「neighborhood」
Neighborhood
隣に住む人と挨拶もしない一方 
ネットで世界中のことを知ることが出来る世の中。
そんなコミュニケーションが薄っぺらくなった現代に対し
身近に居るものたちのふれあいという観点から
問いかけをしています。
人だけではなく動物もいるあたりも
おそらくポイントのひとつなのでしょう。

最後に「oasis」
Oasis
中央のちょっととぼけた馬の頭の上に鳥が止まっていて
たくさんの馬たちがその馬のもとに集まっています。
とぼけた馬は自分が注目の的になっていると思っていますが
集まった目的はその馬ではなく鳥だ というストーリー。
この作品はminä10周年のタイミングで創られたもので
ブランドの知名度に頼るのではなく
作品の本質を見てもらえという
minä社員に対する戒めの意味も
裏テーマとして込められているそうです。


皆川さんのお話は信念という一本の筋が通っていて
刺激を受ける言葉がたくさんありましたが
僕がいちばん心に残ったのが
「未来への郷愁」というキーワードです。
「郷愁」は過去に思いを馳せることですから
一見矛盾しているように思えますが
皆川さんはそうではないとおっしゃっていました。
作品は基本的に「未来」を表現しているものだが
その「未来」であるはずの作品を見ていると
ふとどこか懐かしい気持ちにさせられることで
人間が持つ根源的なものを表現したいというのが
「未来への郷愁」だそうです。
この言葉と解説は生で聴いていてかなり興奮しました。

以前から薄々感じてはいましたが
シーズン毎の流行やヒットアイテムがあり
売れ筋をいかに素早く売り逃しなく消費者に提供するかという
アパレルの主流をなす流れとは全くかけ離れた
独自の道を歩んでいるのは
皆川さんのデザインに対する姿勢や考え方によるもの
ということが実によくわかりました。

最後に質問タイムがあり
せっかくの機会なので皆川さんに質問しました。

皆川さんの話の中で 
夜中に絵を描く作業をしていてそのまま寝てしまい
夢を見ながらその絵の上に違う絵を描いて
作業が台無しになったというエピソードがありました。
僕はその話が面白くて無性に気になったので

①夢を見ながら描いた絵は普段の作風と
  似ていましたか違うものでしたか

②普段夢を見ることは作品に
 何かしら反映されていますか

というふたつの質問をしました。
皆川さんと紅茶の冷めない距離で見つめ合いながら。
緊張しまくり 心臓が半分以上僕の口から出ていたと思います。

皆川さんの答えは
「寝ながら描いた絵は 線のような落書きでした」

さらに恥ずかしくなって 心臓がほぼ全部出てしまいました。

しかも一番聞きたかった②の質問は
僕が緊張していた為上手く伝わらなかったのか
本質を突く質問でなかったからか
いずれにせよスルーされてしまい
「折れるのは肉体よりも精神の方が先ですね」
とおっしゃったあと
「質問に上手く答えられませんでしたがそんな感じです」
と締めくくられてしまいました。

救いだったのが①の質問はウケて
会場に笑いが起こりました。

デザインの本質を突く質問が出来なかった事よりも
ウケたことに満足感を得て家路に就いた自分が
我ながら情けないです。













2008年10月22日水曜日

nattura

最近のヘビーローテーションはビョークの新曲「nattura」という方
結構多いと思いますが 僕もそのひとりです

聴かれた方 どう思いましたか?

"nattura"="自然"ですよね?普通に解釈すれば
実際そういう意味・そういう意図の曲なんだと思います

聴いていて面白いのが
ビョークが音に込めた"nattura"に対するイメージ

我々日本人が抱く"自然"といえば
どちらかといえば緑の生い茂ったのどかな風景のように思われます

方やビョークが表現したのは
嵐や雷が鳴り響く薄暗い絶壁の波打ち際のような音
自然が持つ陰の部分をさらけ出したような壮大さが伝わってきます

だからと言ってビョークのボーカルは
フルスロットル全開でパワフルに歌い上げまくるわけでもなく
随所に抑揚を利かせつつ 嵐に向い優しげに語りかけるようでもあります

歌詞は読んでいないのでわかりませんが
曲の終わりもメリハリがきちんとあるわけでもなく
ボリュームを徐々に小さくしてフェードアウトしてゆく感じです

この曲の眼差しはおそらく祖国アイスランドに向けられているのでしょう
今経済的に危機的状況にある遠い北欧の国の自然を綴った歌は
なんとなく息苦しさを感じるこの世界中の人々の耳には
はたしてどう聞こえるのでしょうか?

そして日本の人たちには



radioheadのトム・ヨーク参加で話題ですが
むしろLightning Boltのブライアン・チッペンデールのドラムが
最高だと思います。

















2008年8月12日火曜日

SUMMER SONIC OSAKA 08 私的五選

Photo_2
今年のサマソニ(大阪)で
個人的満足度が高かった5組について書きます。

<其ノ一>THESE NEW PURITANS
These_new_puritans1
These_new_puritans2
これぞUK!といった感じで完璧なステージでした。
最近の新人UK勢は明るい感じのバンドが多くて
暗さが足りない!とずっと不満を抱いてましたが
彼らがその不満を見事に払拭してくれました。

彼らをケーキに例えると
・バウハウス、コクトーツインズなど4ADレーベル系ゴシック
・ジョイディヴィジョン→ニューオーダー
・ジーザス&メリーチェイン→マイブラッディバレンタイン
とミルフィーユ状の三層構造を成していて
所々マッシヴアタックの粉が散りばめられている
そんな感じではないでしょうか。

だからといって”先祖がえり”していなくて
斬新な音でちゃんと個性を発揮しています。

冒頭いきなりの「colours」「swords of truth」も
相当ヤバかったのですが
(「swords of truth」のイントロは鳥肌立ちました)
中盤の「C.16th±」が煽るようなボーカルに
時折ノイジーなギターがガーッと入ってきて
素晴らしすぎ。
たった2分の曲ですが充実した内容でした。
そして暗い。実に暗い。

後述するSANTOGOLDを観終わったとき
彼らもSANTOGOLDを観ていてバッタリ遭遇。
興奮して舞い上がりながらも
勇気をふりしぼり(カタコトの英語で)
話しかけました。

僕「握手してくれませんか?」
ピュ「(笑顔で)OK!」
僕「今日のステージ最高でした!」
ピュ「THANK YOU!」
ピュ「(僕のTシャツを指差し)THE KILLS!」
The_kills_t
僕「そうです!」
僕「ありがとうございます!」

Dior Hommeのショー・サントラを担当しただけでなく
モデルとしてもステージに立っただけあって
ルックスとスタイルの良さは同性から見ても
ドキッとさせられました。
唯一の女性ソフィーも色白美人でした。

時間にすれば数分の出来事ですが
興奮しながらも時間が止まったような
夢のようなひとときでした。

ちょっと暗めのUK好きで
EDITORSあたりに見事に期待を裏切られた方に
超おすすめです。
同じレーベル(Domino)には
大スターARCTIC MONKEYSがいますが
(僕がTシャツを着ていたTHE KILLSもそうです)
ARCTICよりもTHE LAST SHADOW PUPETTSが
音的に好みという方には間違いなくストライクでしょう。

UK希望の星です!

<其ノ二>YELLE
Yelle1
Yelle2
Yelle3
木村カエラの元ネタです。
ステージ上での動きを見て
「カエラじゃん!」と心の中でツッコミました。
こちらが本物ですから無理もない話です。

THE TING TINGもそうなのですが
CDやビジュアルだけ見て
”かわいい”とだけ思うのは早合点です。
”かわいい”+”かっこいい”が正解です。

ライブを観れば一目瞭然なのですが
小洒落たカフェ仕様BGMというよりも
完全にフロア対応クラブミュージックです。
たしかに抜群のルックスとキュートな歌声が
「幸せマーチなマチコさん」的な女の子の
ハートをつかんでいるのは間違いないですが
ステージ上ではじけて踊り狂う彼女の姿は
自然に体を動かさずにはいられない魅力に
満ち溢れているので
Tシャツにスニーカーが無難です。

みんな楽しそうな顔して踊ってました。
ワンピースなマチコさんから
マキシムザホルモンTシャツ着たごつい兄ちゃんまで。
「踊らなきゃ」と意識的に踊るのではなく
無意識的に踊らされてしまうのがすごいところで
会場は完全にひとつになって盛り上がり
ラストまで拍手が鳴りやまずフロアが揺れました。
正直ここまですごいとは予想外でした。

CDだけで魅力のすべてが伝わるとは言い難いです。
それでもダフト・パンクやジャスティスなど
フランスのバキバキ音好きの耳も
十分満足させてくれるはずです。
興味ある方には歌詞(訳詞)が読める
国内盤CDの購入をおすすめします。
さすがフランス娘は一筋縄ではいかない
といった感じです。
remixが「kitsune Maison#5」にも収録されています。

YELLE前に演っていたperfumeを観終わって
ステージをすぐに出て行った大勢のお客さん
絶対人生損してまっせ。もったいないオバケ出ます。

<其ノ三>DOES IT OFFEND YOU,YEAH?
Does_it_offend_you_yeah
Does_it_offend_you_yeah2
僕がソフトバンクのお兄さんなら
間違いなく「ヨソウガイデス」と言っていたと思います。
CDが良くないとか期待していなかったわけではなく
CDの印象にライブの良さが上乗せされた度合いが
「ヨソウガイデス」でした。

わかりやすく言います。めっちゃかっこいいです。
同じ日に同じステージで観たHADOUKEN!と
風向きは近いと思うのですが
HADOUKEN!の洗練されたかっこよさに比べると
やや大味なワイルドさが魅力ではないでしょうか。

壊れたコンピュータで作られたような音が
ループするにつれてだんだんハイになってゆく
中毒性がハンパなかったです。

黒人(なのかな?)ボーカルのモーガンが
とにかくノセ上手で好感が持てるキャラだったのも
盛り上がった大きな要素のひとつでした。

このバンドのノリの良さのおかげで腰を痛めました。
まったく「ヨソウガイデス」。

<其ノ四>THE TING TINGS
The_ting_tings
The_ting_tings2
生きているとストレスが溜まって
たまには大声で叫びたくなるものです。
「アアアッアー」とか「ヘイッ!」って。
だから売れるべくして売れたのだと思います。

それで 実際叫ぶとなると
屋内より野外の方がスッキリして爽快感があり
当然気持ちがいいわけで
結果CDよりライブの方が良いのは
ごく当たり前のことです。

まわりくどい言い方をしましたが
そんなわけで充実感のあるライブでした。

ケイティにはかわいいの一言では説明しきれない
未知数の不思議な魅力を感じました。
たしかにルックスは良く
おしゃれ上級者さんの着こなしをしていて
見られる対象としての自覚はあるのだと思います。
ただそれ以上に額に汗かいて
ギターを掻き鳴らしながら踊り歌う姿を見て
音楽に取り組む姿勢の”本気度”を感じました。

「Shut up and let me go」の間奏でケイティが見せる
ギター→太鼓→パーカッションと忙しい
”ギャラはおんなじ”状態のパフォーマンスは
一見の価値ありです。

ロック側から支持されるポップユニットという意味で
THE TING TINGSは貴重な存在です。
私見ですがロックがポップソングを受け入れるのは
逆よりも相当ハードルが高いと思います。
その高いハードルを飛び越えてゆく武器として
一度耳にしたらこびりついて離れない
「アアアッアー」や「ヘイッ!」は
かなり強力で強烈な破壊力のポップ爆弾として
ロックのフィールドにボカスカ投げ込まれて
大爆発を起こしたわけです。

カイリー・ミノーグが現れたとき
ロックの世界からも評価が高かったのを
どこか思い出させてくれます。
ケイティがカイリーを尊敬しているというのは
個人的にとても興味深い事実です。

強烈な個性の持ち主は
時代のあだ花となる危険性と
背中合わせの関係にあると思います。
才能を信じて時代を突き抜けてくれることを
期待しています。

<其ノ五>SANTOGOLD
Santogold1
Santogold2
もう10年以上経つでしょうか。
BECKの初来日ライブで「LOSER」を観て
あまりの衝撃に口をポカーっと開けて
固まってしまったことがあったのですが
彼女を観てそれに近い状態に陥りました。
”ジャンルは何”とか”○○系”とか
何にもとらわれない とれわれようとしない
孤高の存在とも言える風格が漂っていました。

(僕も含めて)客が彼女のレベルに
ついて行けていない気がしました。
コーチェラなど有名フェスで客を沸かせ
ビョークやコールドプレイとツアーを回る
実力ある新人なのに・・・と思うと
何だか申し訳ない限りでした。
今でこそこうして冷静に振りかえっていますが
もちろんライブの最中はステージにくぎ付けで
我を忘れていました。

でもやっぱり上の4組とは
ちょっとニュアンスが違います。
上手く説明する言葉が見つかりません。
かろうじて感想を言おうとすると
「すごい」「ヤバい」
の3文字で終わってしまいます。

キャラが濃くて声にもクセがありますから
好みは大きく分かれると思います。
上手く言えませんが”キワモノ”好きな方は
ハマるかもしれません。
ビョークやBECKが登場した”キワモノ”感漂う
衝撃をもういちど味わえる可能性はあります。

日本でどれだけ売れるかはともかく
アメリカでは5年後くらいにアリーナクラスの
人気になっていても何ら不思議ではない
スケールの大きさだけは素人にもわかりました。
そんなすごいミュージシャンを
目の前で観る機会を与えてもらえただけで
頭が下がる思いです。



<1日目>
The_ting_tings2_2
THE TING TING

Vampire_weekend
VAMPIRE WEEKEND(音のみ)
MGMTへ移動中「A-punk」についヨダレが

Mgmt_top
MGMT
やっぱり変かっこいい

The_hoosiers
THE HOOSIERS(少しだけ)
ビリー・ジョエルのカヴァー面白すぎ

Crystal_castles1
Crystal_castles2
CRYSTAL CASTLES
・・・のはずが間に合わず

Does_it_offend_you_yeah2_2
DOES IT OFFEND YOU,YEAH?

Wagdug_futuristic_unity
WAGDUG FUTURISTIC UNITY
ダンスステージが爆音ステージに

Hadouken
Hadouken2
HADOUKEN!
観る側観られる側みんな飛び跳ねて最高!

Coldplay
COLDPLAY
クリスが変な人でツボにハマる(いけてないU2ボノ)

<2日目>
These_new_puritans2_2
THESE NEW PURITANS

Yelle1_2
YELLE

Santogold1_2
SANTOGOLD

The_kills
THE KILLS
KILLS以上プライマル未満

Panic_at_the_disco
PANIC AT THE DISCO
安心して観れる変態美メロバンド

The_verve
the verve
ベタだけど夕暮れ時の”あの曲”は良い

Gogo7188
GO!GO!7188(少しだけ)
不思議な和ロック

Paul_weller
PAUL WELLER
50前のおっさんが若者の心掴んでた!

Photo
詳細なレポート書けなくてすみません。









2008年8月4日月曜日

「スカイ・クロラ」

押井守の映画は
色素が薄く感情表現に乏しい女性と
俯瞰する目で物語全体を見守るただの犬ではない犬が
登場人物として描かれた時点で
個人的には及第点に到達してしまうのだが
本作はそのような評価を甘んじて受けることを拒むように
はるか高い次元へと飛び越えて行ってしまった。

「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」~「イノセンス」で
SFアニメ界のみならずハリウッド映画にまで
革命を起こした押井守が
今度は究極の恋愛アニメーション映画という領域で
金字塔を早くも打ち立てた。

こんなにクールで痛々しく
露出度が高くないのに官能的な恋愛アニメを
未だかつて観たことがない。
いや 仮に知らないだけで存在していたとしても
本作を上回るものでは決してないに違いない。
(この点において”エヴァ”の庵野秀明とは対照的な演出)

アニメなのに観後感がヨーロッパの恋愛映画に似ている。
フルヌードもモロなベッドシーンも無く情熱的でも無いが
「ベティー・ブルー」などが好きな人に好まれそうな気がした。

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カンナミユウイチ(加瀬亮)とクサナギスイト(菊池凛子)が
退屈そうにボウリングをしている。
クサナギはタバコを吹かしカンナミがレーンで投げる姿など
一切見ずに退屈そうにうつむいている。
クサナギがカンナミを飲みに誘い 薄暗いバーへと向かう。
クサナギとカンナミが戦争について議論を交わす。

酔いが回ったクサナギは洗面台で顔に水を浴びていると
毛皮を羽織り濃い化粧をした金髪女性と隣り合わせになる。
クサナギは金髪女性に口紅を借り 自分の唇を塗り始める。
席に戻ったクサナギには普段の化粧っ気の無さが嘘のような
女性的美しさが漂っている。

酔いつぶれたクサナギをカンナミは基地のガレージまで運ぶ。
突然クサナギの意識が冴え 手にピストルを携える。
2人は観たものの脳裏に焼きつくような印象的な会話を交わし
ピストル越しに手を握りしめながらキスをする。

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このワンシーンにはとても痺れた。
他にもクールでエロい描写が
随所に散りばめられていたせいもあり
クサナギという女性の魅力に
すっかり惹きこまれていってしまった。

他にもカンナミと関係を交わす
フーコという高級娼婦がとても魅力的。
胸元と背中一面にはタトゥーが施され 
どこか中性的妖艶さが漂う。
ピンク色のオープンカーに乗っていたこともあり
もしかすると若かりし頃の美輪明宏を
モチーフにしているのかもしれない。
(顔は少しGacktっぽい)
カンナミとベッド上で会話するフーコは
影がありとても美しかった。

ラストシーンの
(注:厳密に言えばエンドロール後にもうワンシーンある)
青空の下クサナギがタバコを吹かし
犬が空を見つめながら吠えるところで
高揚した気分を味わうことが出来た。
このシーンは実に素晴らしい。

脚本が”行定組”である事をスクリーン上で初めて知った。
脚本監修が行定勲で
脚本は”セカチュー”や「春の雪」を書いた
行定の愛弟子で小道具兼脚本家の伊藤ちひろ。
伊藤が本作のように感情を押し殺した
クールな本が書けるのは意外だった。
ここ最近の行定作品にファンとしては
物足りなさを感じていたせいもあり
本作は今後の”行定組”への期待を
持たせてくれるきっかけにもなった。

冒頭で本作を
”究極の恋愛アニメーション映画”
であると述べたが
もちろんそれだけの映画ではない。

平和な世の中で
ゲームとしての戦争を企業が請け負うという設定は
軍隊の人材派遣業というものが
実際に存在するアメリカが
利権をめぐって世界の警察官と化している
現代の比喩にも感じられる。
また(舞台がヨーロッパとはいえ)日本人が
金髪白人の人々を武装して守るというのは
日米安保体制を倒錯したものと言えなくもない。
いずれにせよ 
戦後の日本観が投影されている事は
まず間違いなさそうである。

加えて 
アニメやゲームに没頭する現代の若者に対し
啓蒙的な面も感じられる。
戦争に駆り出されるのは
戦闘機に乗る能力には長けているが
過去の記憶を抹消され
決して大人になれない若者たち。
戦火に散るとまた別の若者が
代替的に増員される。
そこに未来など見えなく 
ましてや夢も希望も存在しえない。
あたかもリセットボタンを押せば
何度でも再生可能なRPGや
反復を繰り返すマンネリ化したアニメに没頭する
若者を描いているかのよう。
それをアニメ界で神と崇められる
押井守が描くという構図が実に興味深い。

もっともアニメファン側からの本作に対する評価は
前作「イノセンス」ほど高くはないようだ。
だがざっと見た限りでは 
原作との相違点への不満 
背景設定の非現実性
メカニックデザインやCGに対してのオタク特有の品定め
声優を起用しなかった点に向けられた批判など
いずれも取るに足らない
あるいは的外れな言葉ばかりが見受けられる。

この映画でアニメ声優のプロを起用しなかったのは
監督の英断だったと思う。
プロのアニメ声優だと”いかにも”な感じが出てしまい
この映画が持つ
アニメというジャンルを超越した良さが
消えてしまうからだ。
菊池凛子は個人的には何故こんなに
評価が高い女優なのかよく解らない。
今回の声優も決して上手いとは思わなかったので
”何故評価が高い女優なのか”という答えは
今回も見つけられなかったが
普通っぽさが逆にリアルでプラスに転じていた。
加瀬亮に関してもほぼ同様に思えた。
役者のときのようなキレが無いのが逆に良い。
(ただし谷原章介と栗山千明は
雰囲気を壊さない範囲内で上手だと思った)
普通っぽさの中にクールさを醸し出せたのが
大きな成功要因につながっていた。

押井作品としては珍しく
話が比較的シンプルでわかりやすい。
とはいえ 
取り上げなかった登場人物の設定や
セリフのひとつひとつにも
印象的なものが多く 
1度観ただけでは全貌を掴み切れない。
公式ガイドブック 
背景設定集
「押井守『スカイ・クロラ』論」など
関連書籍を手当たり次第読み
予習した上で再度観て
最後にもういちどおさらいを兼ねて観たいと思う。

全体を振り返ってみると
「大人になれない若者」が未来のない絶望に
死を背負いながら生きながらも
愛によって感情が揺さぶられる様を
感情を込めずに淡々と描いているところが
美しい恋愛映画だという印象が強く残った。

戦闘機による戦争映画なのに
戦闘機のせの字も語らなかったが
多分そういうことなのではなかろうか。









2008年7月17日木曜日

いとうせいこうが考える、日本語のヒップホップ

いとうせいこうさんのトークショー
『いとうせいこうが考える、日本語のヒップホップ』
に行って来ました。

無宗教の僕は
「神様って潜在意識みたいなものなのかな?」と
時々根拠も無くふと思うことがあるのですが
いとうせいこうさんは僕にとっての「潜在意識」
つまり「神」だということが生で話を聞いて判りました。

音楽家としてのせいこうさんは
リアルタイムでは無いのですが
僕が多感な時期に影響された人達のほとんどが
せいこうさんとかなり近い距離で接点を持っています。

だから意識はしていなくとも
必然的に僕の興味の根源にいる人(ルーツ)なのです。

そんな「神」からのお言葉は一字一句聞き洩らさず
それこそ大学ノートに全部メモしたいくらい
素晴らしかったのですが
何せ僕の「潜在意識」ですから
必要な時に必然的に思い出すだろうと
記録しておかなくてもと思い筆を置きました。

この人は革命家です。
本気で日本を変えようと考えています。
今日生で言葉を聞いてそう確信しました。

トークテーマの「日本語のヒップホップ」の意味は
せいこうさん流の結論だけ言えば
アメリカをまんまパクったものではなく
パンク~ニューウェイヴの流れから派生した
音楽的な流れと和歌や念仏など伝統文化が融合した
日本独自のものであるという解釈を
当時の貴重な映像に解説を交えつつ
丁寧に論証されていました。

服装から何からまんまなヒップホップが
日本でも台頭してきた事が
長らく音楽から距離を置いていた理由のようです。

イベントの映像に近田春夫さんが出ていて
明日のテレフォンショッキングのゲストが近田さん。
今日の半田健人さんをはさんで
昨日はせいこうさんの後輩山田五郎さん。
司会はもちろんタモリさんで
連日しょこたんが花束を贈るという日本は
なかなか面白いものだと再認識しました。

日本のエンターテイメントに未来はないと
思っている方もいるようですが
僕は逆に日本が奥深く面白過ぎて
外国のことにまで意識が回らないうちに
一生を終えそうな気がします。

2時間濃すぎ。
ワンドリンク付き2300円でこの内容は
個人的に価格破壊でした。








2008年6月24日火曜日

「ぐるりのこと。」

「ハッシュ!」橋口亮輔監督最新作。

間違いなく僕の今年ベスト1の映画になると思います。

10年に1作出会えるレベルの傑作です。


個人的に好きな映画を一方的に観て欲しいと

押しつけがましく言うのが嫌いな僕でさえ

この映画だけは1人でも多く

とくに日本人に観て欲しいと本気で言いたいです。


普段は観た映画についてあれこれ書きますが

今回に限っては書く必要性を全く感じません。

人は大切なものを人に伝えたいと思うときほど

寡黙になるものです。


一組の夫婦を通して

1993年から10年間の日本の内側を

社会と個人という

マクロとミクロの双方から描いた作品で

登場人物が全員感情むき出しで本音で語っています。


公式HPおよびパンフに記載されている

著名人のコメントの中から

共感したものを2点 以下に抜粋しておきます。


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この映画の面白さは、過去を水に流さないこと。

この10年に日本に起きた社会的事件の数々を

ある法廷画家の目を通して端々と描く。

───大傑作である。

鈴木敏夫さん

(スタジオジブリ・プロデューサー)


日本映画は、まだ死んでいませんでした。

素晴しく上質な映画に出会えたことを

嬉しく思いました。

"夫婦"というものを描いて、

これ以上の夫婦はいないだろうと感じました。
リリー・フランキーさんと木村多江さんがいい、
特にリリーさんは最高!

おすぎさん

(映画評論家)

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DVD化後に観ても見劣りする作品ではないです。

しかしながら 今このタイミングで観ることを

強くお薦めします。


作品中に日本で実際に起きた有名な事件を模した

法廷でのシーンがいくつか描かれています。

その中で加瀬亮演じる被告が登場するのですが

この加瀬亮のモデルとなっている人物は

つい先日死刑執行された猟奇的殺人犯です。

しかも加瀬亮から発せられるセリフは

あまりにもショッキングな内容の為

あまり公には報道されなかった事実を述べています。


随時笑えるシーンが散りばめられているものの

さすがにこのシーンでは

映画館は水を打ったように静かになり

緊張が走りました。


ひとつだけお節介を焼くと

なるべく体調の良い時に

ご覧になることをお薦めします。

喜怒哀楽全てが表現されていて

しかもその振り幅が

いずれも針を振り切るくらい

大きいからです。


多くの人に観て欲しい強くお薦めする1作ですが

それは誰が観ても面白いということを

必ずしも保証するものではありません。

その理由を作中でリリーさんはこう語っています。


-他人の心なんてわかりっこないさ-


公式HP








2008年5月26日月曜日

僕の中にある「異端」っていう言葉をいったん保留にして

日曜日の朝は政治討論番組が多いですね。
たまに見ていると違和感を覚えるひとつの言葉があります。
「国民」。
「国民は怒ってますよ」「国民の立場からすると・・・」
自民党も民主党も公明党も共産党も社民党もこぞって
「国民」という言葉を並べるわけですが
みな言ってることはバラバラなわけです。

もちろん政治の世界は言葉を慎重に選んで
厳密に語るべきシビアな場所だと思います。

それはそれとして・・・

僕が最近感じるのは
ひとつの言葉が持つイメージの「のりしろ」というか
その言葉から各々が連想するものの自由さ です。
そこが面白いなあと。


広辞苑片手に「その言葉の定義からズレている」と
目くじら立てるよりも
多少「定義」からはみ出ちゃっても
自由に語ることのほうがなんかいいなと最近思うのです。

もちろんこの「自由」という言葉も
それぞれ持つイメージが違うわけで
だとすると”自由に語る”ということの意味も人それぞれという
ループに陥ってしまうわけなのですが・・・

京都国立博物館の「河鍋暁斎展」と
みなみ会館の「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」を
最近観てきました。
両者とも世間では「異端」と評される画家の
展覧会とドキュメンタリー映画です。

両者ともとても素晴らしかったです。
そもそも「何が正統で何が異端か?」なんて話もありますが
今回はそういう議論からは僕は降りようと思いました。
内容についてもあれこれ説明もしません。
ただただ素晴らしいのひとことに尽きました。

興味がある方 感じるものがある方は是非!






2008年4月8日火曜日

「フローズン・タイム」

美の根源が女性であり
それが恋愛を経験することによって
時間の概念が形成されてゆくという着想に
大いなる共感を抱く作品だ。
なぜなら 僕がそうであるから。

いたるところで評判になっている
雪の夜のラストシーンはたしかに美しい。
うがった見方をすれば
このラストシーンから逆算して
ストーリーを構築していった感も否めないが
たとえそうであっても それはマイナスには感じない。

全体的にポップに描かれているのが小気味良い。
ハリウッド的に劇画調でなく
フランス映画的に情熱的でなく
イギリス映画というジャンルが存在するとすれば
こういうポップな描写を指すのかも知れない。

加えて 登場人物がコミカルというかアホだ。
結局イギリスの若者って
サッカーとセックスだけを生き甲斐にしているのかと
偏見を持つくらいに。
当然 ストーリーもシリアスでなくいたってコミカル。
アホの子はアホ。

監督はファッション・フォトグラファー出身だけあって
男性が女性の被写体を撮る目線で語られていると感じたが
写真はともかく映画としてこういう男性目線で描かれる女性像を
女性はどう評価するのかは興味深いところ。

「時間を”フリーズ”させる」ことが出来る主人公について
束芋がパンフレットで
「主人公の彼が持つ”時間をフリーズさせる能力”は私も持っている。
 一瞬を切り出してその時間の断面を描いてゆく感覚・・・」
とコメントしている。
さすが芸術家はスゴイな と
同じ感覚を共有できえない己の凡人さが歯がゆい。









2008年4月6日日曜日

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」

たとえば今が見ごろの桜を見て

「桜がきれいだな」と言ったとします。

でもそのとき

「どこがどうきれいなのか具体的に説明しなさい!」

と問い詰められて 仕方なく渋々説明すると

「あなたの発言には一貫性がなく矛盾している!」

と否定されて殺される。

例えるなら そんな映画です。

しかもそれが実話なのですから恐ろしい話です。


論理が全てを支配し感性を服従させてしまう状態が

結局論理そのものをも逸脱させ 

暴力によってしか正当化をなしえない結末に至るのは

とても恐ろしい事だと思いました。


「革命」とやらのために振りかざされた論理は

現代の(というか僕の)目から見ると滑稽極まりなくて


(記憶が曖昧なので正確な言い回しは忘れましたが)


「軍事演習において水分が不足することが予測できながら

 水筒を用意しなかった点について総括せよ!」


とか


「銃に傷をつけてしまうという行為は革命を後退させる。

 これをどう総括するのか!」


とか その他些細なことが「総括」の対象となるのです。

はっきり言って笑いました。馬鹿馬鹿しくて。


おそらくこの文章を読んで

「『総括』ってどういう意味?」と

思われたことでしょう。

わからないです。映画を観た僕でさえも。


でもそんな些細な事が引き金となって

「総括」を強要され

最終的には「処刑」と称して殺されてしまうから堪りません。


また男女間の色恋沙汰も「総括」の対象とされ

命取りになるのですが

何故かリーダー格の「森」と「永田」が付き合うのは

「革命のために必要」として自己肯定されてしまうのです。

わけがわかりません。


わけがわからないなりにざっくりまとめると


「革命」の名の下に集った青年たちが

自己を打ち消しながら日々厳しくなる規律と葛藤し

やがては同志をあやめるに至り

日に日に人数が減ってゆき

厳しい規律を課すリーダー格の「森」と「永田」が

逮捕されると

求心力を失った残党の5人が

あさま山荘に立て籠もり

「革命」と情との間で心が揺れ

犠牲となった同志の血を大義名分にして

最後まで警察に徹底抗戦する


というような話です。


1%たりとも共感に値しない話でした。

そんなに同志が大事なら

何故粛清しなければならなかったのか?

端から見ると矛盾しているように思えてなりません。


恐らく

そのような矛盾を抱えながらも

「革命」によって「共産主義」が実現すれば

日本いや世界は

平和で平等な理想的なものになると

青年たちは真剣に信じていたことだけは

事実なのだと思います。


現代を生きる僕たちにとって

この事実は過去の出来事であり

歴史の1ページとして認識する

それだけで十分なのだと思います。

連合赤軍のとった行動は愚かだったと

笑い飛ばせばいい。


ただ

ベルリンの壁が崩壊して喜んだはずが

世界は一向に平和にならず

争いはむしろ複雑化しているという事実は

僕たちの世代が抱える大きな課題であって

それを思うと

僕たちは何をよりどころにすべきなのか

どこへ向かえばよいのか

そういった疑問を投げかけている映画だと

言えなくもないと思います。


個人的には興味のあるテーマでもあり

この映画を製作するための支援をお願いするチラシを

数年前から映画館で目にしていたので

このように映画化が実現し映画館が満席だったのは

映画好きとしては感慨深いことではあります。

若松孝二の映画人としての集大成となる作品でしょう。



だからといって

誰彼構わずお薦めするには

3時間10分はあまりにも長過ぎで内容も苦痛だと思います。

無茶な言い方をすれば


前半:政治ドキュメンタリー

中盤:ホラー映画(「永田」が殺人鬼に見える)

後半:ガン・アクション映画


と割り切って楽しむ手もなくはないですが

お金払ってまでそうするのも意味があるとは思えません。


あさま山荘事件だけ少し知りたいなら

「突入せよ!あさま山荘」は警察の側から描かれていて

わかりやすいです。

連合赤軍の内部崩壊の過程は

「光の雨」でも詳しく知ることが出来ます。

(ただし「光の雨」の方が映像的にはもっと残酷です)


あさま山荘事件のリーダー「坂口」役の

ARATAに少し触れておくと

不謹慎な言い方かも知れませんが

かっこ良く見えてしまいました。

実際の「坂口」という人物がどうであったかは

よく知らないので言及できませんが

ARATAの容姿端麗でスタイルの良いルックスが

マフラーひとつ巻いてもおしゃれに見えてしまい

ひときわ目立っていました。

ARATAがかっこ良く見えることが

この映画にとってプラスなのかマイナスなのかは

よくわかりませんが

作品の本質とは別の次元の話なので

深く考えてもあまり意味はないと思われます。

映画の内容に関心はないが

ARATAは好きという方なら

DVD化された際にレンタルして

後半1時間だけ観れば十分のような気がします。


ARATAよりも「遠山」役の坂井真紀の方が

映画のテーマ的には重要な役割を演じています。

おそらく彼女の女優人生の中で

ベストと思われるほどの熱演ぶりです。

彼女の演技に連合赤軍の抱える矛盾の多くが

凝縮され描かれています。

ただし ファンの方は観るのにちょっと勇気を要するでしょう。


繰り返しますが

個人的には3時間10分息の抜けない内容でしたが

興味のない方にあまりお薦めはしません。








2008年3月27日木曜日

「マイ・ブルーベリー・ナイツ」

ノラ・ジョーンズが再びブルーベリーパイを食べるまで

かかった日数 300日。

ブルーベリーパイの味には

たどりつくまで要した300日の旅の行程が

凝縮して込められていたのだろう。


同じウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」は

恋愛に積極的なフェイ・ウォンが

恋心を寄せるパイロットの部屋を自分色に染め

最終的には彼を追い越して

キャビンアテンダントになってカリフォルニアへと

ジェット機で飛び去ってしまう

スピード感があり爽快で直球ストレートな

ラブストーリーであったのに対し

「マイ・ブルーベリー・ナイツ」は

恋愛の感情を素直に表に出せないノラ・ジョーンズが

売れ残りのブルーベリーパイを食べさせてくれる

カフェ店員のジュード・ロウに心惹かれながらも

失恋の心の傷を抱えたまま

広大な土地のアメリカを転々としながら

滞在先で出会う個性あふれる人物たちの

まっすぐな感情や劇的なエピソードを目の当たりにし

再びカフェの門をくぐるまで300日もの日数を要した

ゆったりとした時間の流れの中で回り道を繰り返す

スローカーブ型のラブストーリーである。


劇的なエピソードは随所に盛り込まれながらも

ラブストーリーとしてこの映画を視た場合

至って地味な物語だ。

上っ面だけ取れば

再会して再びブルーベリーパイを食べるまで

300日もかかる アホちゃう? という話になる。

だがそのような視方はこの映画の本質ではなく

逆に300日かかることの重要性が

会話の随所から垣間見れる

登場人物の心理描写によって語られている

実に味わい深い魅力に満ちた話である。


300日の旅によって

ノラ・ジョーンズが恋愛に積極的な女性に

変身するわけではない。

300日で得たものは

居眠りする唇に付けられたクリームだけ。

だがそのほのかな変わり具合が

エンディングに流れる

ノラ・ジョーンズの歌声と相まって

観る者を心地良くさせ 

じわじわと余韻を引く素敵な作品である。









2008年2月26日火曜日

ビョークin大阪城ホール

知らない曲も歌っていました。

歌詞は外国語なので意味はよくわかりません。

でも そんな事はちっぽけなものにすぎませんでした。

彼女は地球を背負って歌っていました。

彼女は宇宙に向けて歌っていました。

「hyperballad」からラストの曲にかけてのバックトラック

テクノバリバリで脳を揺さぶられました。


ビョークというとてつもない大きな存在を目の当たりにして

自分の小ささを実感するとともに

そんな小さな自分にも生きている実感と勇気を与えてくれた

人生において意義深い2時間でした。