2008年8月4日月曜日

「スカイ・クロラ」

押井守の映画は
色素が薄く感情表現に乏しい女性と
俯瞰する目で物語全体を見守るただの犬ではない犬が
登場人物として描かれた時点で
個人的には及第点に到達してしまうのだが
本作はそのような評価を甘んじて受けることを拒むように
はるか高い次元へと飛び越えて行ってしまった。

「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」~「イノセンス」で
SFアニメ界のみならずハリウッド映画にまで
革命を起こした押井守が
今度は究極の恋愛アニメーション映画という領域で
金字塔を早くも打ち立てた。

こんなにクールで痛々しく
露出度が高くないのに官能的な恋愛アニメを
未だかつて観たことがない。
いや 仮に知らないだけで存在していたとしても
本作を上回るものでは決してないに違いない。
(この点において”エヴァ”の庵野秀明とは対照的な演出)

アニメなのに観後感がヨーロッパの恋愛映画に似ている。
フルヌードもモロなベッドシーンも無く情熱的でも無いが
「ベティー・ブルー」などが好きな人に好まれそうな気がした。

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カンナミユウイチ(加瀬亮)とクサナギスイト(菊池凛子)が
退屈そうにボウリングをしている。
クサナギはタバコを吹かしカンナミがレーンで投げる姿など
一切見ずに退屈そうにうつむいている。
クサナギがカンナミを飲みに誘い 薄暗いバーへと向かう。
クサナギとカンナミが戦争について議論を交わす。

酔いが回ったクサナギは洗面台で顔に水を浴びていると
毛皮を羽織り濃い化粧をした金髪女性と隣り合わせになる。
クサナギは金髪女性に口紅を借り 自分の唇を塗り始める。
席に戻ったクサナギには普段の化粧っ気の無さが嘘のような
女性的美しさが漂っている。

酔いつぶれたクサナギをカンナミは基地のガレージまで運ぶ。
突然クサナギの意識が冴え 手にピストルを携える。
2人は観たものの脳裏に焼きつくような印象的な会話を交わし
ピストル越しに手を握りしめながらキスをする。

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このワンシーンにはとても痺れた。
他にもクールでエロい描写が
随所に散りばめられていたせいもあり
クサナギという女性の魅力に
すっかり惹きこまれていってしまった。

他にもカンナミと関係を交わす
フーコという高級娼婦がとても魅力的。
胸元と背中一面にはタトゥーが施され 
どこか中性的妖艶さが漂う。
ピンク色のオープンカーに乗っていたこともあり
もしかすると若かりし頃の美輪明宏を
モチーフにしているのかもしれない。
(顔は少しGacktっぽい)
カンナミとベッド上で会話するフーコは
影がありとても美しかった。

ラストシーンの
(注:厳密に言えばエンドロール後にもうワンシーンある)
青空の下クサナギがタバコを吹かし
犬が空を見つめながら吠えるところで
高揚した気分を味わうことが出来た。
このシーンは実に素晴らしい。

脚本が”行定組”である事をスクリーン上で初めて知った。
脚本監修が行定勲で
脚本は”セカチュー”や「春の雪」を書いた
行定の愛弟子で小道具兼脚本家の伊藤ちひろ。
伊藤が本作のように感情を押し殺した
クールな本が書けるのは意外だった。
ここ最近の行定作品にファンとしては
物足りなさを感じていたせいもあり
本作は今後の”行定組”への期待を
持たせてくれるきっかけにもなった。

冒頭で本作を
”究極の恋愛アニメーション映画”
であると述べたが
もちろんそれだけの映画ではない。

平和な世の中で
ゲームとしての戦争を企業が請け負うという設定は
軍隊の人材派遣業というものが
実際に存在するアメリカが
利権をめぐって世界の警察官と化している
現代の比喩にも感じられる。
また(舞台がヨーロッパとはいえ)日本人が
金髪白人の人々を武装して守るというのは
日米安保体制を倒錯したものと言えなくもない。
いずれにせよ 
戦後の日本観が投影されている事は
まず間違いなさそうである。

加えて 
アニメやゲームに没頭する現代の若者に対し
啓蒙的な面も感じられる。
戦争に駆り出されるのは
戦闘機に乗る能力には長けているが
過去の記憶を抹消され
決して大人になれない若者たち。
戦火に散るとまた別の若者が
代替的に増員される。
そこに未来など見えなく 
ましてや夢も希望も存在しえない。
あたかもリセットボタンを押せば
何度でも再生可能なRPGや
反復を繰り返すマンネリ化したアニメに没頭する
若者を描いているかのよう。
それをアニメ界で神と崇められる
押井守が描くという構図が実に興味深い。

もっともアニメファン側からの本作に対する評価は
前作「イノセンス」ほど高くはないようだ。
だがざっと見た限りでは 
原作との相違点への不満 
背景設定の非現実性
メカニックデザインやCGに対してのオタク特有の品定め
声優を起用しなかった点に向けられた批判など
いずれも取るに足らない
あるいは的外れな言葉ばかりが見受けられる。

この映画でアニメ声優のプロを起用しなかったのは
監督の英断だったと思う。
プロのアニメ声優だと”いかにも”な感じが出てしまい
この映画が持つ
アニメというジャンルを超越した良さが
消えてしまうからだ。
菊池凛子は個人的には何故こんなに
評価が高い女優なのかよく解らない。
今回の声優も決して上手いとは思わなかったので
”何故評価が高い女優なのか”という答えは
今回も見つけられなかったが
普通っぽさが逆にリアルでプラスに転じていた。
加瀬亮に関してもほぼ同様に思えた。
役者のときのようなキレが無いのが逆に良い。
(ただし谷原章介と栗山千明は
雰囲気を壊さない範囲内で上手だと思った)
普通っぽさの中にクールさを醸し出せたのが
大きな成功要因につながっていた。

押井作品としては珍しく
話が比較的シンプルでわかりやすい。
とはいえ 
取り上げなかった登場人物の設定や
セリフのひとつひとつにも
印象的なものが多く 
1度観ただけでは全貌を掴み切れない。
公式ガイドブック 
背景設定集
「押井守『スカイ・クロラ』論」など
関連書籍を手当たり次第読み
予習した上で再度観て
最後にもういちどおさらいを兼ねて観たいと思う。

全体を振り返ってみると
「大人になれない若者」が未来のない絶望に
死を背負いながら生きながらも
愛によって感情が揺さぶられる様を
感情を込めずに淡々と描いているところが
美しい恋愛映画だという印象が強く残った。

戦闘機による戦争映画なのに
戦闘機のせの字も語らなかったが
多分そういうことなのではなかろうか。