2005年10月30日日曜日

「春の雪」

大作そして傑作です。

大好きな行定勲監督が益々好きになりました。
三島小説のあの純粋で儚い美意識を
2時間半という商業映画の枠に収めたのは
間違いなく監督の力量によるものです。

「豊饒の海」って
忠実に映画化しようとすればするほど
難解かつ長時間モノにならざるを得ないと
思うのですが

われてもすへに あはむとぞおもふ

という歌留多に「豊饒の海」全体に流れる
「輪廻転生」というテーマを表象させることで
「春の雪」一作でも「豊饒の海」全体の
テイストを壊す事無く 限られた時間で
表現することを可能にしていました。
脚本の妙ですね。

次に映像美。
隙が無いまでに完璧な舞台美術や衣装を
極端なまでに接写したり引きで撮ったりする
絶妙な構図の取り方で
粒子の粗いざらざらとした質感のフィルムで
映し出された映像は
小説の世界同様 実に美しいものでした。

最後に俳優。
妻夫木くんの清顕は予想以上にハマリ役。
自分の気持ちに正直になれない子供っぽさから
全てを敵に回してでも聡子を想うまでに至る過程を
見事に演じ切っていました。
聡子役の竹内結子に関しては
他の女優さんが聡子を演じたらどうなっていたのかな
という気持ちは鑑賞後も正直残りましたが
彼女のクセの無さが逆にプラスに働いていたと思います。
脇役の方々も兵揃いで濃かったです。

僕が思うに 三島の美意識って
突き詰めると

純粋さと儚さの共存

っていうことなのかなと。
純粋過ぎるくらい純粋がゆえに
その純粋さをストレートに表現出来ない
屈折した部分があり
それが儚さに繋がっているように感じます。
小学生の時に初めて「仮面の告白」を読んで以来
この三島観はほとんどブレていません。
そしてこの純粋で儚い三島の美意識を享受出来る日本で
日本人に生まれてきてつくづく良かったなと思います。

















2005年10月7日金曜日

フリッパーズ・ギターのその後について知っている2、3の事柄

小山田圭吾
小沢健二

二人で活動していた時は双子のような存在だと
思っていたが
フリッパーズ・ギター解散後の作品や行動を見ていると
正反対なのかも と思うようにもなった。

乱暴に大別すれば

小沢=破壊
小山=継承。



小山田はソロ・デビューした時も
フリッパーズ時代の自分の過去を背負って
出発した。
だからcorneliusの1stが出た時に
「これってフリッパーズとどう違うの?」
と質問を浴びせられたのは必然である。
アルバムのタイトルが
「First Question Aword」なんて
今となってはジョークとも皮肉とも取れる。
なるほど仮にフリッパーズが存続していたとすれば
corneliusの1st的な音だったかも知れない。

しかしやはりcorneliusとフリッパーズは違う。
答えは単純明快。
そこに小沢健二がいるかいないか ということだ。

その証拠に「ロッキン・オン・JAPAN」誌上で
小山田が山崎洋一郎に
フリッパーズとcorneliusの違いはどこにあるのか
という文脈において
解散した理由を詰問されていた時に
半ば誘導尋問的に出た答えが

「水面から顔を出してみたら
 隣に小沢の姿はなかった」

のようなくだりであった。

少なくとも小山田にとっては
小沢がいるかいないかで
フリッパーズ以前・以降という
頭の切り替えが出来ているのだと
思った。
すごく当たり前な事のようでいて
とても重要な事ではないだろうか。

話をcorneliusに戻すと
小山田はフリッパーズ時代から
一貫しているリソースを用いて
ソロ一作目を出したというわけだ。
ほとんど書いていなかった
歌詞については
フリッパーズ的な単語を並べることで
一貫性を保っていた。

その後の「ロッキン・オン・JAPAN」誌上での
出自に関する
20000字インタビューと
そこで繰り広げられたお互いのソロ批判を経て
小山田は2ndでは中学時代のヘビメタにまで
原点回帰し

歌詞
ボーナス・トラック
発売形態(カセットテープ!しかも9色!!)
グッズ
媒体露出
リミックス

等々
良い意味で中学生的な感覚で
放射線状に露出していった。

次作「ファンタズマ」については

自分が心地よいと思うのは
歌ではなく音そのものだ!

という決意表明とも取れる
イヤホン入りのアルバムを発売
高性能マイクを駆使した1曲目から
ソフト・ロックへのオマージュとも
取れる最後の曲まで
(曲名もずばり
「THANK YOU FOR THE MUSIC」!)
音にこだわる姿勢を見せるようになり
以後歌詞はどんどん削除され
音自体もミニマムな方向へとシフトした。
この頃から海外での評価も高まり
Blurからスティング(!)まで
remixを依頼する程の一目置かれた存在となり
4th「POINT」はある種の到達点を感じさせる
作品となった。

片や 小沢。
彼は過去の作品を
いったんゼロ・ベースにしてから
次の作品をつくっている。

誰もがどよめいたソロ・デビュー作。
彼は転向した。
「論理」から「普遍」への転向。
本人もそう述べている。

一作目は
アメリカの土臭いロックテイストを
散りばめた
到達点が高く
賞味期限の長い音。
そして特筆すべきはやはり歌詞だ。
それは二つの意味においてである。

ひとつは 自らの手で自らの過去を
葬っている事。

「意味なんて無いなんて飛ばしすぎたジョーク」
とさらっと言ってのける堂々たる姿勢に
度肝を抜かれる思いをした。
(小山田のデビュー・シングルの歌詞に
 「意味なんてどこにもないさ」とある事に
 即座に気付いた瞬間は
 血が凍りつくような恐ろしさを覚えた。)

もうひとつは 詞の吸引力。
フリッパーズの歌詞は
飢えたファンに求められているものを
与えているような印象が強かったのだが
「犬は吠えるがキャラバンは進む」に関しては
通りすがりの人を立ち止まらせ
次第に人混みに溢れていくような印象を受けた。
特に「天使たちのシーン」は
小沢本人による歌詞カードでのメッセージからも
汲んで取れるように
相当丹精込めて創ったと思われる。

過去を引きずらず
むしろ焦土と化すまで焼き尽くし
戦略を練り
完璧に理論武装し
準備万端になってから
次の一手を撃つ完璧主義は
その後も一貫していた。

「ロッキン・オン・JAPAN」誌上での
出自に関する20000字インタビューからも
小沢の完璧主義ぶりが垣間見えた。
怒りの沸点が小山田によるソロ批判に
あったのかどうかは定かではないが
小山田が「上昇志向なヤツは嫌い」と
コメントすれば
小沢はそれの揚げ足を取らんばかりに
「俺は小山田のそういう上昇志向なところが
 好きだった。」
と粘着質な切り返しをし
小山田を泥舟に乗せようとしていた。
(この時も血が凍る思いを。)

話を作品の方に戻すと
そんな到達点の高い一作目を出した
小沢が打った次なる手は
「普遍性」を「わかりやすさ」に求める事だった。

前作の文学×ロック的な「普遍性」から
二作目の東京×ポップス的な「普遍性」への
華麗なる転身。

そして誰もが甲高い鼻声の細身な東大卒男の
歌声を耳にする「オザケン現象」へ。

ここまでは完璧主義者の勝利であった。

様相が変わってきたのは
「オザケン現象」によりマスコミが
小沢健二の出自を面白がり始めた頃からだ。

もっとストレートに言うと
フリッパーズ・ギター解散の真相を
マスコミが嗅ぎ回るようになってからである。

その後小沢はTV出演も徐々に控え
貝になっていく。
スタッフの入れ替わりも激しかったそうだし
何故かソロ一作目までも改題して再発するなど
かなりナイーヴな状態だった様子が伺える。

そして小沢は単身NYへ。
マーヴィン・ゲイの企画盤に参加する以外は
再び長い沈黙を続けることになった。
そして長い沈黙を破ったのは「eclectic」。
そこには甲高い鼻声はなく
第二変声期があったのかと思わせるくらい
ヴォイス・トレーニングを積んだと思われる
別人のような歌が存在していた。

「ロッキン・オン・JAPAN」誌上での水掛け論も
ほとぼりが冷め
お互いがお互いの事をコメントしなくなり
「オザケン現象」も収束すると
二人は奇妙な解逅を見せることになる。

それは

批評を嫌うということ
成熟期を迎えたということ

の二点においてである。

批評に関して言えば
小山田は「POINT」発表時の
「ロッキン・オン・ジャパン」での
鹿野淳による濃密なインタビューに対し

「鹿野さんが僕の音楽をしっかり聴いて
 くれているのはわかる。
 それはありがたいけど
 正直難しいことはわかんない。」

とさらりと交わし

「今一番興味があるのは子供と遊ぶこと」

と とても日常的なコメントをしていた。

一方の小沢も「eclectic」発売時に
唯一マスメディアに露出した
タウン情報誌でのインタビューにて

「そんな難しい話やめようよ」

と答えた。

このシンクロは とても嬉しかった。

成熟期に関しては
あくまで私見である。

小山田くんの「POINT」
小沢くんの「eclectic」

位相は違えども
何か手の届かない存在になった
印象がとても相似しているように
思えたのだ。

例えるなら

小山田=芸術的
小沢=神秘的

といったところであろうか。

小山田の立ち位置は
昨今のYMO人脈との交流や
新作「sensusous」における
限りなく自由でいてオリジナリティに
満ち足りた音のひとつひとつで
はっきりと見えてきたような
気がする。

小沢は
「毎日の環境学」において
詩人が詩を書かないという
「脱社会化」によって
メディアから完全に解き放たれた。

成熟し批評からの自由を獲得した二人の
「夏休み」が「もう終わ」ったのは
遠い昔の話である。














2005年9月17日土曜日

「バッド・エデュケーション」

アルモドバル映画の不敗神話は続く。ハズレなし!

正直今回は心配だった。
噂によると、アルモドバルの半自伝的作品で、背教的なホモセクシャルの話。
クリスチャンでもなくヘテロな僕がどこまでこの作品の核心に触れられるのか・・・

だが、心配するだけ無駄だった。
本作には、性を超えた愛と、愛するがゆえに引き起こされる悲劇、そしてその悲劇を
受け入れなければならない運命の罪深さが、実に濃厚に描かれている。

タイプ打ちかけのイグナシオの手紙を受け取ったエンリケと、重々しい音楽とともに
語られる登場人物のその後の人生。

この映画はアルモドバルにとって作ることが義務であり、
またいちばん作りたかった映画であるに違いない。

ハートフルな場面は無いに等しい。
しかしながら、少年時代のイグナシオが歌う「ムーン・リバー」と「帰れソレントへ」の
変声期前特有の美声は一見に値する。

果たしてどの部分がアルモドバルの実体験なのだろうか・・・









2005年8月16日火曜日

【順位確定】東京13・14R「SUMMER SONIC 05」賞

以下の通りに順位が確定致しました。


1着 ◎ oasis
2着 ○ WEEZER                頭差
3着 ▲ IAN BROWN            1馬身差 
4着 穴 SAKEROCK             2馬身差
5着 注 KASABIAN               ハナ
6着 △ 電気GROOVE×スチャダラパー    1/2馬身差 

1着のoasisは馬の生まれ持った気性の荒さが懸念され、実際予定時間を1時間過ぎても競技場に現れないというトラブルが発生しましたが、馬自身は機嫌が良く、トラブルも(表向きは)音響設備が原因である事が判明し、トラブルが解決すると「fuck'n in the Bushes」をBGMにいつも通りのふてぶてしさで無事ゲートから出走しました。ニューアルバムから「Turn up the sun」「LYLA」を立て続けに演奏し、先頭グループに位置しました。中盤からは「Live forever」「Rock'n roll star」「wonderwall」「Don't look back in anger」といった1st,2ndアルバムの曲で好位置につけ、最終コーナーではTHE WHOの名曲「My Generation」で一気に差し切り、後続の馬を退けてゴールしました。ドラムにリンゴ・スター(ビートルズ)の息子を起用したという血統の良さも好要因のひとつと言えるでしょう。

2着のWEEZERは夕暮れ時に「星に願いを」をBGMに登場という粋な演出でスタートダッシュは万全で、「Why Bother?」「Island In The Sun」「Buddy Holly」といった代表曲とニューアルバムの曲をバランスよく散りばめ、終始安定した走りを見せてくれました。

3着のIAN BROWNは前走からのブランクの長さが不安材料として挙げられていましたが、前半から「Waterfall」などストーン・ローゼズ時代の曲を演奏する大逃げに出る作戦が効を奏し、コミカルなダンスとお茶目なキャラクターでゴールまで見事に先頭グループに喰らいつきました。なお、馬がアルコールを一杯引っ掛けて出走した疑いが審議となりましたが、他馬の進路を妨害はしていないという結論に至り、到達順位通り3着となりました。

4着のSAKEROCKは新興勢力のタワーレコード厩舎(BEACH STAGE)から参戦しましたが、キ○タクと○雪の不倫を目撃した工藤○香が「嵐~をっ、起~こしてっ!」って歌いながらキレるというコント仕立てのMCや、「ウ~コン~のち~か~らっ、say!」というcall and response、24時間TVでおなじみZARDの「負けないで」を即興で歌うなど、反則とも言える面白さと心地よい演奏で追い込み、ゴール直前では先頭集団に食い込み今後の活躍が期待できるレース内容でした。

5着のKASABIANはクーラ・シェーカーを彷彿とさせるミステリアスなシンセサイザーの音色とギターのジョニー・デップばりのイケメンぶりが好材料となり、健闘しました。今後のレース内容で真価が問われることでしょう。

6着の電気GROOVE×スチャダラパーは90年代ノリの場慣れしたMCが幅広い客層のハートを確実につかめた事が好材料となり、最後の曲「TWIRIGHT」での「J・O・D・A・N」を身体で表現するという現在では微妙なネタ(元ネタは武田鉄矢)も味方し入賞を果たしました。

入賞はなりませんでしたが、Nine Inch Nails、THE ORDINARY BOYS、 CEASERSなども奮闘しました。

(なお、TEENAGE FANCLUB、トミー・ゲレロ、The La's、Detroit7、ロディ・フレイム、BLACK CROWSなどは
スケジュールの都合上競争除外となりました。)


結論としてはガチガチの本命レースという内容でした。


配当(「感謝!」)は、今年で15周年を迎えた主催者creativeman様、出走馬と厩舎の方々、運営スタッフの皆様、そして2日間レースを盛り上げてくれた観客のみなさんに支払われます。おめでとうございます!













2005年8月1日月曜日

坂本龍一@ZEPP NAGOYA

心に染み入る素敵な2時間。

3回目のアンコール「東風」はサプライズで

教授のファンを大切にする気持ちが伝わってきて感激した。

小山田くんと教授が同じステージに立つ日に生きていてよかった。












2005年7月26日火曜日

「愛の神、エロス」

「欲望」(BLOW UP)で名高い(ハービー・ハンコックによるサントラも超カッコイイですよね!)、ミケランジェロ・アントニオーニ監督が、ウォン・カーウァイとスティーヴン・ソダーバーグを指名して企画した、「エロス」をテーマにしたオムニバス映画、
「愛の神、エロス」を観ました。

・・・でも、肝心な言いだしっぺのアントニオーニの作品がサッパリで、ピンと来ないんです!(怒)
海岸で全裸で踊る女性なんて、僕にはちっとも「エロ」じゃなかった。
御大とのジェネレーションギャップを感じてしまいました。ガッカリ。

秀逸だったのは予想通り、ウォン・カーウァイでした。
コン・リー扮する高級娼婦(マジで美人!)が、新米の仕立て屋(おそらく童貞)の下半身を弄って、
「良い服を仕立てる為には、この感覚を忘れちゃダメよ。」
これですよ、コレ!
別に裸体を露出しないでも「エロ」は十分描けるんですよ。
アントニオーニとは全く対照的に、ウォン・カーウァイの作品は徹底的に
服を着せてゆくことによってエロスを描写するという、いわば逆説的な手法で
見事な仕上がり具合でした。
カメラワークは言うまでも無くクリストファー・ドイルです。

ソダーバーグの作品は冗長で退屈に感じましたが、
ラスト3分の「オチ」のための「枕」だったということが分かると、腑に落ちました。

総じてまあまあ、ってとこでしょうか。

2005年7月24日日曜日

マシュー・バーニー展~拘束のドローイング~

金沢21世紀美術館で、「マシュー・バーニー展~拘束のドローイング~」を観ました。

「マシュー・バーニーって誰?」って方、ビョークのダンナです。

「ビョークって誰?」って方、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で救いようも無く悲しいオカンを演じた女性です。

「ダンサー・イン・ザ・ダークって何?」って方、ラース・フォン・トリアの映画です。

「ラース・フォン・トリアって誰?」って方、「奇跡の海」などの名作を撮った映画監督です。

「奇跡の海って何?」って方、TSUTAYAの店員さんに聞いてみて下さい。
「TSUTAYAって何?」って方、・・・

この展覧会は、マシュー・バーニーがタイトル通り器具で自分の身体を「拘束」したまま
日本の伝統的テーマである「茶道」「捕鯨」を題材に芸術的表現を立体的に展開したものです。
未だご覧になっていない方に先入観を与えない為に詳細はコメントしませんが、
多少なりともアートに関心のある方には一見の価値は必ずあります。

特に、館内で同時上映されている2時間30分の映画は圧巻です!
乱暴に概説すると、マシューとビョークが漁船に乗って現れて、捕鯨船の中にある茶室で
和服に着替えて婚礼の儀式らしき事をした後、ナイフでお互いを斬り合い、2頭の鯨になる!という
とんでもないストーリーです。音楽はもちろんビョークです。

ちなみにこの展覧会を日本で観るには金沢に来るしか方法はありません。
つまり日本での開催は金沢21世紀美術館のみで、金沢の次は韓国に巡回されるそうです。

マシュー・バーニー展については、
今月号の「STUDIO VOICE」「美術手帖」で表紙写真付きで特集されていますので、
雑誌をご覧になって興味が沸いた方は
是非金沢まで足を運んでみてはいかがでしょうか。







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2005年7月11日月曜日

TOKYO NO1 SOUL SET@日比谷野音

晴れた!

昨日の大雨を吹き飛ばすようなライヴ日和。

新作「OUTSET」からの曲が中心だったが、

日が暮れた頃「JIVE MY REVOLVER」のイントロと共に3000人の観衆は一気に盛り上がった。

アンコールの「Jr」は全員大合唱、ビッケの声も興奮しているように聴こえた。













2005年6月26日日曜日

蓮實重彦講演@金沢~フレデリック ワイズマンはアメリカで最も重要な映画作家である~

金沢21世紀美術館で、フレデリック・ワイズマンの映画を観て、蓮實重彦の講演を聴いた。


フレデリック・ワイズマンについては、今回の企画で初めて詳しく知ったのだが、

「エグくて優れたドキュメンタリー映画を撮る監督さんだな~」というのが「チチカット・フォーリーズ」を観た後の感想だった。


だが蓮實氏は講演の冒頭から「フレデリック・ワイズマンはドキュメンタリー映画の監督ではなく、

アメリカで最も重要な映画作家です。映画はドキュメンタリーとかフィクションとかという区分は重要ではなく、

1秒24コマの中で構成された映像が私たちの前に表現されていることが重要なのです。」と、

僕のワイズマン観をいとも容易くひっくり返してしまった。



続けて蓮實氏曰く、「ワイズマンは素人に迷惑をかけない極道である。」と。


ワイズマンは弁護士でもあり、出演を受諾した人すべて契約を交わすらしい。

そして、出演を拒否した人は絶対にフィルムには映さない事を徹底しているという。

裏をかえせば、契約を交わした人に関してはカメラで徹底的に追い込んで、

出演者の表情や言動を克明に映し出す事に成功している。

これが蓮實氏の言う「素人に迷惑をかけない極道」たる所以である。

(ちなみに「素人に迷惑をかける極道」とはマイケル・ムーアの事を指す。)



ワイズマン映画のもうひとつの特徴として、蓮實氏は

「字幕もBGMもナレーションも一切入れず、映像を観れば全てが語られている構成になっている。」点を挙げていた。

確かに僕の観た「チチカット・フォーリーズ」も、精神異常の犯罪者矯正施設で過ごす人達を映しているだけである。

しかしながらワイズマンの編集の妙によって、矯正施設でのむごたらしい惨状が恐ろしいまでに浮き彫りにされていた。

僕はホラー映画が嫌いで見ないのだが、こっちの方が背筋の凍るような映像だと思うし、

映像が頭にこびりついて消えないのだ。



「ワイズマンは1930年生まれで、ゴダールとクリント・イーストウッドと同い年だ。

この75歳の3人が現役で映画を撮り続けていることが重要」と蓮實氏は語った。

実際、ゴダールもワイズマンも新作が間もなく完成するそうだし、クリント・イーストウッドはアカデミー賞を受賞した。


恐るべき75歳!


メロメロパーク












2005年5月28日土曜日

ワイルドスミス・絵本の世界-おとぎの国のファンタジア展

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福井市美術館で開催中の「ワイルドスミス・絵本の世界-おとぎの国のファンタジア展」に行ってきました。
正直、僕はブライアン・ワイルドスミスの絵のタッチはさほど好きではありません。
しかしながら、彼の描く絵の色彩センスは、「色彩の魔術師」と評される通り素晴らしいものでした。
淡いようでいて深く、透明なようでいて立体的な印象を受けました。

最近僕は、「色彩」というものに興味を抱いています。
「色彩」は人を時には高め、時には和ませる、心と密接に繋がりを持った存在です。
その「色彩」とは何かを探求する手段として、手始めに塗り絵を2ヶ月程前から始めました。
僕の塗り絵法は、一言でいうと、「既成概念を取り払う」。
例えば、パンダの塗り絵があったとすると、必ずしも黒と白で塗る必要はない、ということです。

先には何があるのか、ひょっとして何も見つからないかもしれません。
ただひとつだけ言えることは、一塗り絵人から見て、ブライアン・ワイルドスミス
紛れもなく「色彩の魔術師」だということです。