2005年10月7日金曜日

フリッパーズ・ギターのその後について知っている2、3の事柄

小山田圭吾
小沢健二

二人で活動していた時は双子のような存在だと
思っていたが
フリッパーズ・ギター解散後の作品や行動を見ていると
正反対なのかも と思うようにもなった。

乱暴に大別すれば

小沢=破壊
小山=継承。



小山田はソロ・デビューした時も
フリッパーズ時代の自分の過去を背負って
出発した。
だからcorneliusの1stが出た時に
「これってフリッパーズとどう違うの?」
と質問を浴びせられたのは必然である。
アルバムのタイトルが
「First Question Aword」なんて
今となってはジョークとも皮肉とも取れる。
なるほど仮にフリッパーズが存続していたとすれば
corneliusの1st的な音だったかも知れない。

しかしやはりcorneliusとフリッパーズは違う。
答えは単純明快。
そこに小沢健二がいるかいないか ということだ。

その証拠に「ロッキン・オン・JAPAN」誌上で
小山田が山崎洋一郎に
フリッパーズとcorneliusの違いはどこにあるのか
という文脈において
解散した理由を詰問されていた時に
半ば誘導尋問的に出た答えが

「水面から顔を出してみたら
 隣に小沢の姿はなかった」

のようなくだりであった。

少なくとも小山田にとっては
小沢がいるかいないかで
フリッパーズ以前・以降という
頭の切り替えが出来ているのだと
思った。
すごく当たり前な事のようでいて
とても重要な事ではないだろうか。

話をcorneliusに戻すと
小山田はフリッパーズ時代から
一貫しているリソースを用いて
ソロ一作目を出したというわけだ。
ほとんど書いていなかった
歌詞については
フリッパーズ的な単語を並べることで
一貫性を保っていた。

その後の「ロッキン・オン・JAPAN」誌上での
出自に関する
20000字インタビューと
そこで繰り広げられたお互いのソロ批判を経て
小山田は2ndでは中学時代のヘビメタにまで
原点回帰し

歌詞
ボーナス・トラック
発売形態(カセットテープ!しかも9色!!)
グッズ
媒体露出
リミックス

等々
良い意味で中学生的な感覚で
放射線状に露出していった。

次作「ファンタズマ」については

自分が心地よいと思うのは
歌ではなく音そのものだ!

という決意表明とも取れる
イヤホン入りのアルバムを発売
高性能マイクを駆使した1曲目から
ソフト・ロックへのオマージュとも
取れる最後の曲まで
(曲名もずばり
「THANK YOU FOR THE MUSIC」!)
音にこだわる姿勢を見せるようになり
以後歌詞はどんどん削除され
音自体もミニマムな方向へとシフトした。
この頃から海外での評価も高まり
Blurからスティング(!)まで
remixを依頼する程の一目置かれた存在となり
4th「POINT」はある種の到達点を感じさせる
作品となった。

片や 小沢。
彼は過去の作品を
いったんゼロ・ベースにしてから
次の作品をつくっている。

誰もがどよめいたソロ・デビュー作。
彼は転向した。
「論理」から「普遍」への転向。
本人もそう述べている。

一作目は
アメリカの土臭いロックテイストを
散りばめた
到達点が高く
賞味期限の長い音。
そして特筆すべきはやはり歌詞だ。
それは二つの意味においてである。

ひとつは 自らの手で自らの過去を
葬っている事。

「意味なんて無いなんて飛ばしすぎたジョーク」
とさらっと言ってのける堂々たる姿勢に
度肝を抜かれる思いをした。
(小山田のデビュー・シングルの歌詞に
 「意味なんてどこにもないさ」とある事に
 即座に気付いた瞬間は
 血が凍りつくような恐ろしさを覚えた。)

もうひとつは 詞の吸引力。
フリッパーズの歌詞は
飢えたファンに求められているものを
与えているような印象が強かったのだが
「犬は吠えるがキャラバンは進む」に関しては
通りすがりの人を立ち止まらせ
次第に人混みに溢れていくような印象を受けた。
特に「天使たちのシーン」は
小沢本人による歌詞カードでのメッセージからも
汲んで取れるように
相当丹精込めて創ったと思われる。

過去を引きずらず
むしろ焦土と化すまで焼き尽くし
戦略を練り
完璧に理論武装し
準備万端になってから
次の一手を撃つ完璧主義は
その後も一貫していた。

「ロッキン・オン・JAPAN」誌上での
出自に関する20000字インタビューからも
小沢の完璧主義ぶりが垣間見えた。
怒りの沸点が小山田によるソロ批判に
あったのかどうかは定かではないが
小山田が「上昇志向なヤツは嫌い」と
コメントすれば
小沢はそれの揚げ足を取らんばかりに
「俺は小山田のそういう上昇志向なところが
 好きだった。」
と粘着質な切り返しをし
小山田を泥舟に乗せようとしていた。
(この時も血が凍る思いを。)

話を作品の方に戻すと
そんな到達点の高い一作目を出した
小沢が打った次なる手は
「普遍性」を「わかりやすさ」に求める事だった。

前作の文学×ロック的な「普遍性」から
二作目の東京×ポップス的な「普遍性」への
華麗なる転身。

そして誰もが甲高い鼻声の細身な東大卒男の
歌声を耳にする「オザケン現象」へ。

ここまでは完璧主義者の勝利であった。

様相が変わってきたのは
「オザケン現象」によりマスコミが
小沢健二の出自を面白がり始めた頃からだ。

もっとストレートに言うと
フリッパーズ・ギター解散の真相を
マスコミが嗅ぎ回るようになってからである。

その後小沢はTV出演も徐々に控え
貝になっていく。
スタッフの入れ替わりも激しかったそうだし
何故かソロ一作目までも改題して再発するなど
かなりナイーヴな状態だった様子が伺える。

そして小沢は単身NYへ。
マーヴィン・ゲイの企画盤に参加する以外は
再び長い沈黙を続けることになった。
そして長い沈黙を破ったのは「eclectic」。
そこには甲高い鼻声はなく
第二変声期があったのかと思わせるくらい
ヴォイス・トレーニングを積んだと思われる
別人のような歌が存在していた。

「ロッキン・オン・JAPAN」誌上での水掛け論も
ほとぼりが冷め
お互いがお互いの事をコメントしなくなり
「オザケン現象」も収束すると
二人は奇妙な解逅を見せることになる。

それは

批評を嫌うということ
成熟期を迎えたということ

の二点においてである。

批評に関して言えば
小山田は「POINT」発表時の
「ロッキン・オン・ジャパン」での
鹿野淳による濃密なインタビューに対し

「鹿野さんが僕の音楽をしっかり聴いて
 くれているのはわかる。
 それはありがたいけど
 正直難しいことはわかんない。」

とさらりと交わし

「今一番興味があるのは子供と遊ぶこと」

と とても日常的なコメントをしていた。

一方の小沢も「eclectic」発売時に
唯一マスメディアに露出した
タウン情報誌でのインタビューにて

「そんな難しい話やめようよ」

と答えた。

このシンクロは とても嬉しかった。

成熟期に関しては
あくまで私見である。

小山田くんの「POINT」
小沢くんの「eclectic」

位相は違えども
何か手の届かない存在になった
印象がとても相似しているように
思えたのだ。

例えるなら

小山田=芸術的
小沢=神秘的

といったところであろうか。

小山田の立ち位置は
昨今のYMO人脈との交流や
新作「sensusous」における
限りなく自由でいてオリジナリティに
満ち足りた音のひとつひとつで
はっきりと見えてきたような
気がする。

小沢は
「毎日の環境学」において
詩人が詩を書かないという
「脱社会化」によって
メディアから完全に解き放たれた。

成熟し批評からの自由を獲得した二人の
「夏休み」が「もう終わ」ったのは
遠い昔の話である。