2010年1月31日日曜日

Le Foujita

Leonard Foujita展 "馬とライオン" ポストカード

白の記憶に付箋を貼っておきたくて買いました



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2010年1月28日木曜日

「(500) Days of Summer」

例えるなら

"80年代UK音楽にインスパイアされた現代アメリカ文学を原作に撮ったIKEAのプロモーション・フィルム"

みたいな感じがしました





バカで軽快な知的セリフの言い回しとサントラを作るために映画を撮ったような挿入歌のセンスの良さに

知らぬ間にぐいぐいと惹き込まれていくのですが

恋愛における白と黒のはっきりしなさがはっきりしているところが惹き込まれる要素なので

言葉の端々に神経を研ぎ澄ませながら切ない思いを強いられる苦々しさは鑑賞後も尾を引きました





恋人と上手くいっている人は上から目線でIKEAを闊歩したくなり

そうでない人は収録曲が街で耳に飛び込んできたときにそれぞれの思いでこの映画をふりかえり

報われない片想いをしている人は部屋でひとりサントラをヘッドフォンで聴きながら思い切り泣きたくなる

そんな映画なのではないでしょうか?










2010年1月20日水曜日

「Gran Torino」

冷戦以降アメリカが抱えてきた栄光にひそむ影を

クリント・イーストウッド自ら演ずる朝鮮戦争帰還兵の老後を通じ"懺悔"する姿が

深い感動を呼ぶ



朝鮮戦争で勲章を授かり 

アメリカの象徴フォード名車中の名車"グラン・トリノ"を愛車に持つコワルフスキー(イーストウッド)

だが名車"グラン・トリノ"はシャッターを下ろしたガレージの暗がりにしまわれたまま

アメリカの栄華を誇示するかのごときそのエンジン音を高らかに鳴らすことはない

朝鮮戦争における殺戮が彼の人生に大きな影を落とし

アメリカの栄華は彼の心の中で愛車とともに暗く閉ざされてしまったからだ



戦争の記憶は家族との間に軋轢を生じ

理解者である妻に先立たれると

家族は日本製ハイブリッド・カーの車中で彼を偏屈がり罵る



コワルフスキーの影が大きな孤独に覆い被せられる中

隣にアジア系民族の一家が引越して来る

ベトナム戦争においてアメリカに協力したことでその後不遇な運命をたどり続けるモン族の一家だ



コワルフスキーは自らの戦争の記憶による苦悩を増幅させるベトナム戦争という

アメリカが抱える大きな影の輪郭を浮かび上がらせるモン族を毛嫌うように避けて回るが

影の輪郭を形取るモン族の中に次第に自らの影を受容する術を見出し "懺悔"に至る

(「グラン・トリノ」はベトナム戦争という共通点においてコッポラ「地獄の黙示録」と関連性があるが

 それについてはこちらでわかりやすい解説を聴くことが出来る)




アメリカの影をコワルフスキーというひとりの老人に投影させたとも

また アメリカ人が個々に抱える心の闇を冷戦以降のアメリカ史に重ね合わせたとも

そのどちらとも言えると思う


(コワルフスキーという主人公の名はおそらく

primal screamが"Kowalski"という曲の収録されたアルバムタイトルで

タランティーノが「Death proof」

ともにオマージュを捧げているアメリカン・カー・チェイス・ムーヴィーの金字塔

「vanishing point」 主人公の名から拝借していると思われる)




アメリカ映画史として見ると

西部劇俳優イーストウッドがその集大成ともいうべき熱演を

現代劇において(しかもこのような結末を迎える映画で)魅せている点も見逃せない




上記のように壮大なプロットで構成されつつも

あたかもコワルフスキーが心の闇を内に秘めたかのごとく

本編でそれらが直接語られることはない

だがイーストウッドがこの映画に込めたアメリカの"懺悔"は

まるで映画公開に合わせたかのように 時を同じくして起こったモン族の強制送還に代表されるように

極めて現代的かつ切実な祈りと言えよう













2010年1月16日土曜日

Haus Habsburg,Velazquez

京都国立博物館でTHE ハプスブルク展を観て来ました


名だたる名画の数々に見どころは尽きないですが



王家の肖像画が展示されたコーナー



とりわけ ベラスケスの2枚の絵



"王女マルガリータ"と"皇太子プロスペロ"に強く惹き込まれました




少女少年としてのはにかみと王家としての気高さが共存する表情とたたずまいが



ベラスケスが筆を走らせた油彩によって



筆舌に尽くしがたい ならぬ 筆舌に全て言い尽くされた かのように



額縁の中で濃密に語られています



油彩の上に残る筆致には あたかも今書き終えたかのごとき生(ライブ)の感覚が残り



マルガリータ21年 プロスペロに至っては4年という短い生涯を



生きた証として現代を生きる我々の胸に確実に刻み込む生命の永遠なる力強さは



涙を誘います




ベラスケスの2枚の絵を観ているうち



"宮廷画家は果たして本当に描きたい絵画が描けたであろうか?"という命題を



とりあえず脇に置いておきたくなりました



たとえ王家の威信というフィクションが刻み込まれていたとしても



そこには芸術のみならず



遠く時空を超えたメディアとしての宮廷絵画が存在するからです



歴史を伝えるメディアとしてはもちろんのこと



時代 地域 階級 年齢 性別 を問わず すべての人間には力強い生命がある というメッセージ



額縁越しにそれを伝えるメディアとしてのマルガリータとプロスペロの姿は



はかなくも気品と爛漫さに満ちていました