2009年7月15日水曜日

江藤 淳 『妻と私』

かつて亡くなった祖母の書斎から

「文芸春秋」江藤淳哀悼号を見つけ

手に取った










文学者は何故自らの命を絶たなければならないのか

理解出来なかった

しかし 「妻と私」を読んで

江藤の場合 自殺は必然の結果であったと

ある意味納得させられた






江藤が自ら絶命した理由は

恐らく「死の時間」から逃れられなかったからであろう






本書の巻末には

「日常性と実務の時空間に向かう大道を、歩み始めている。」

とあるが

それは「もう少し仕事をなさい」という「妻」の「幻影」に

短期的に突き動かされたに過ぎず

時が経つにつれて再び「死の時間」に

江藤は徐々に支配されていったのではなかろうか






「死の時間」から解放されるためには

「日常性」に戻るか

「死の時間」を意識せずに済むか

の二者択一に迫られる






江藤にとって「日常性」とは「妻」と愛犬がいる生活を指す

であるとすれば

「死の時間」から解き放たれる選択肢は

必然的に後者にならざるを得ない






江藤家は未来に築くであろう家庭のひとつの理想像でもある

愛する人と 可愛い犬に囲まれた生活

江藤夫妻の41年間に及ぶ「日常性」の幸福に倣いたい

それが「死の時間」という宿命から逃れられないとしても