この映画を観るまでは
広島市民にとって原爆とは
忘れられないものだとばかり思っていた。
だが実際は
忘れてしまいたいほど忌まわしく
知らぬふりをしていたいほど関わりたくないものだった。
銭湯で焼けただれた肌を
何事もないかのように無言で洗い流す女性たちの姿に
それは象徴的に描かれていた。
しかしながら そんな語りたくない過去も
広島市民の中では家族というフィルターを通して
否応無しに継承されてゆく。
原爆は 忘れられないもの
ではなく 忘れないものだった。