2013年5月7日火曜日

『美術品はなぜ盗まれるのか ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い』

「美術品を金銭で評価することは是か非か」という命題に対する正しい回答とは何だろうか。


仮に、美術品を金銭的な評価から切り離して別の尺度で表そうとしたとしよう。その場合、別の尺度で高く評価されたものが金銭的には低い評価しか得られないなどということは
有り得るのだろうか?市場の目に留まる前ならば起こり得るのかもしれないが、やがては資本主義の網の目に取り込まれていくのは自明であろう。

これは何も美術品に限った話ではないというよりもむしろあらゆる財に共通するメカニズムであり、少なくとも資本主義社会が成熟した「健全」さを物語る証拠にはなっているはずである。

ただ、美術品の場合「市場の目に留まる」ための仕組みが経済とは別のレイヤーにあって「目利き」が市場の「外部」に存在することは有り得るのかもしれない。
(そうであることを信じたい)

本書の大きな読みどころは、「健全」な市場メカニズムに闇社会という「不健全」な変数が盗難によって紛れ込むと美術品の金銭的な評価が跳ね上がってしまうという、美術品市場の経済的な「健全」さ(?)にあると思う。これは美術品が「市場の目に留まる」ための「目利き」が市場の「内部」に存在することの悲劇であり、美術品が専ら投資目的に扱われる風潮への冷や水なのであろう。

だから、現代の成熟した資本主義において美術品が他の財と同様に市場で金銭的に評価されることは社会が「健全」である裏付けにはなったとしても、それは「美術品を金銭で"のみ"評価すること」とイコールではない、というところまでは言い切ってよいのではないだろうか。


盗まれたターナーの二点の絵のテーマが<光と闇とが相互に依存していることを提示する>というのは出来過ぎなくらいよく出来た話。
しかしターナーがこの絵によって「陽である光が、陰である闇を支配する力をもつ」ことを明らかにしようとしていたことを「闇」の側にいる盗み手は知らなかったはずだ。