2013年5月20日月曜日

ミランダ・ジュライ「君とボクの虹色の世界」

「the Future」と立て続けに観て、2作に共通する部分を漠然と思い描いた。

ネットが表現や自己実現の手段となったことは他者との比較を強迫観念的に強化したり
リアルに吐き出せない心の奥底が「コピペ」によって充足してしまったりする。
でも何かしらの突破口が用意されていて、それはハッピーとは限らないしベストなのかも定かではないけれど、
当事者たちは現状肯定して受け容れているように見えるところに人としての美しさを感じる。
主要な登場人物には鬱屈したものを抱えている傾向が強いが、観終わったあとにはすがすがしさや潔さが残るのは本当に素晴らしい。


「君とボクの虹色の世界」は、都会にある有名ブランドの路面店ではなく郊外のショッピングモールのあか抜けない靴売り場が舞台のごくありふれた日常の話なのだが、
設定や登場人物に少しだけクセのあるところをつくり(とはいえそれも現実に十分ありうるものだ)、それと映像の切り取り方や的を得た音楽やさりげないインテリアの小物などがまじり合い、リアルなのにファンタジックでコミカルなのにシリアスに胸を痛める、他の誰にも代え難いハイセンスな作品。
「他の誰にも代え難いハイセンスな作品」なのはもちろん「the Future」についても同様だ。


ミランダ・ジュライ自身のセンスが「他の誰にも代え難い」ことに掛けて言えば、彼女の作品に触れると人の代替可能性を強く意識する。
特別な何かを手に入れたりしなくても人は他者とは交換不可能なものを持っていて、それはとても誇らしい。
劇中で全てが丸くおさまらなくても余韻の中に爽快が湧き立つのはおそらくそう思えるからだろう。